人生、何となく生きづらい時というものがある。
「こんな事していていいのだろうか」
「こんなに上手く行かないなんて、私、何か間違っていない?」
色々なことが行き詰まり、疲れ果てて、不安と疑心暗鬼ばかりが心を占める。
私がしたかったことは、音楽と物書きというどちらも「食えない」仕事、「つぶしの利かない」仕事であった。
しかも、それらを夢見ていながら、深く考えずに子どもを三人も産んでしまった。
自分でも何が何だか分からない。
「生活設計」とかいう言葉を聞くと、首をすくめるしかない支離滅裂である。
支離滅裂な人というのは、周囲の人をもその混乱に巻き込む。
「あんたは一体何を考えているのか」
始終責められ、呆れられ、疎まれ、ついに暖かい応援は得られなくなった。
突き放されて孤独になると、私はとても人恋しかった。
誰でも良いからゆっくり話を聞いて欲しかった。
こちらの話しがただの被害妄想でも、とんでもない思い違いであっても、とにかく話を聞いて肯定してくれる相手が必要だった。
とても幸運なことに、友だちの何人かが、私の独りよがりなしつっこい話しに、辛抱強く付き合ってくれた。
逆の立場で私が聞き手なら、ただ「ばかじゃん」と言って冷たく突き放すであろう内容の話だったに違いないのに、本当に辛抱強く聞いてくれた。
そして、その上、慰めてくれた。
中には、私が歌わないことを惜しんで、小学校の音楽室を借りてコンサートを企画してくれた友だちまでいる。
そのことがきっかけで、私はまた歌い出せたのだ。
一番辛かったとき、支えになってくれた友だちと、最近はご無沙汰が多い。
子どもたちがそれぞれに巣立っていったり、お互い環境が変わって会う機会が減っているのだ。
そのかわり、今の私を支えて励ましてくれる新しい友人がたくさんできた。
人と接すると、イヤなことも起こるけれど、私の場合は新しい場所に踏み出せる機会になることがほとんどだった。
私は、人の喜ぶ顔を見るのが好きで、人がはしゃいだり、感動したり、笑ったり泣いたりするのを見るのが好きだ。
何か頼まれると、大変かも知れないけどそれにも増して面白そう、と予感しては、色々なことに首を突っ込む。
行事を企画したり、食べる会を催したり、飲み会に誘ったり、発表会をしたり...。
その度にごたごたもするけれど、必ず楽しい思い出ができる。
その場で新しく出会った人たちがまた別の友だちの輪を作っていたりすると、「やった」と指を鳴らしたくなる。
人付き合いなんかしなくても自分は立派に生きていける、と思う人もいるだろう。
でも、私は辛かったときに、お金でも他の何でもない、ただ話を聞いて頷いてくれる友だちに救われた。
私が参加した仕事で、儀礼的にでも感謝してくれる人たちに救われた。
だから、自分の人生の在り方を想うとき、なるべくたくさん、皆にサービスしていきたいと望んでしまう。
私は、家族のために得意の料理の腕を振るうのか好きだ。
美味しいと顔をほころばせる家族の顔を見るのが好きだ。
私の歌や書いたものを楽しんでもらうのが好きだ。
企画した行事でたくさんの人が出会う現場を見るのが好きだ。
発表会で生徒が緊張したり、高揚している表情を見るのが好きだ。
そのためのアイディアを練ったり、企画するのが好きだ。
私自身が辛いときというのは、何かの事情でしてあげたいことができないときだ。
身体はひとつ、仕事と役目はいっぱい。
その整理と優先順位に迷うとき、イライラして落ち込んでいたりする。
どうしようもなくお節介でお人好しというのが、私の生きるコンセプトらしい。
一時は、ボランティアばかりしているのは阿呆かも知れないと自分に言い聞かせ、やりたいことに目をつぶってもみたが、じぶんの本性であるらしい「サービス業一筋」というところで開き直ったら、長年の迷いが口の中の綿あめみたいにすーっと溶けて消えた。
人の喜びのために動いているなど、気恥ずかしくて口にできないが、それが私の喜びだということだけはしっかり自覚できている。
たったこれだけのことに気づくのに、何十年もかかったなんて。
人間はなんて変な生き物。
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