2010年6月アーカイブ

ZoolooZ に至る長い道のり

 私がプロデュースしたユニット、ZoolooZのレコ発ライブ、7/15日に、吉祥寺のMANDALA-2で、いよいよございます。

 

 私は18歳で、大学に通うため、単身北海道の田舎から東京に出てきた。田舎は、人口2万人くらいの余市町、というところ。

 

 通っていた小樽の高校では、混声合唱団に青春を捧げていたが、一方で、軽音楽部にも出入りし、フォークのオリジナルを歌ったり、極端にピアノの上手い同級生とジャズのデュエットをやったりしていた(この、極端にピアノの上手い同級生は、松田真人君といい、作編曲ピアニストとして活躍、多分現在は谷村新司さんのバックアップをしている)

 

 大学では、ジャズ研に参加。そこには、たまたまだったようだが、目を瞠るような凄腕が何人もいた。中のひとりがギターの加藤崇之。

 ちょうどライブハウスができはじめた頃だったので、在学中から吉祥寺のライブハウスで仕事を始めた。その頃に知り合ったのが、佐山雅弘、金澤英明、北島直樹、野力奏一、斉藤クジラ誠さんたち。そのうち、フュージョンブームが来て、ツアーやスタジオで活躍する人々からも声がかかるようになる。

 周囲にいたのは、初代スクエアのキーボード、宮城純子、今や売れっ子になっているアレンジャーの武部聡志、他色々な広がりで数え切れないたくさんのミュージシャンたちと演奏した。

 何となく、時期によってご縁があったりなかったりしたが、幅広いジャンルにわたる、彼らや彼女たちと若い頃に知り合えたことが、子育てを終えて音楽に復帰した10年前から大切な財産であることが明らかになってくる。

 

 ジャズと他のジャンルのミュージシャンは、活動の仕方が随分違う。

両方を見ている私としては、「もっと付き合えばいいのに」という気がする。目指すところ、拘るところが違うだけで、同じ音楽好き。上手く擦り合わせば、素晴らしいコラボができるはずなのに...。

 

 ジャズ・ミュージシャンとは、自分を音楽にする人たち。

技術的にも音楽性も、まず自分がいて、その自分が心地よい音楽に突き進む。1ヶ月の間に、ほとんど15日から25日くらいは毎晩ライブをやっている。お客様の前で演奏する時間は、毎日23時間。練習や先生職を入れるとかなりな時間、音楽をしている。演奏では、即興演奏をしている時間が長いので、自分の中から出てくるものを豊かにする、あるいは、自由に発想する、とりわけユニークに存在する、ということに命がけな人が多い。

 

 ツアーやスタジオ系の人々は、分析や対応力がすごい。多くの音楽スタイルを知っていて、その差を再現する能力がある。ジャズでもボサノヴァでもロックでも歌謡曲や演歌でも、それぞれの音楽が何をどのように組み立てて作ってあるかを知っている。

 楽譜を書いたり、初見で演奏する能力が大変高い。

 

 だから私は、ジャズの方たちとライブをするときには、シンプルなテーマを持つ、即興に向いた曲を中心に、自分を丸ごと投げ出して、化学反応のように繰り広げられるコミュニケーションを楽しむこととなる。テンポも、リズムも、大まかにしか指定しない。

 

 スタジオ系の方たちとライブをするときは、アレンジを決め、リハーサルを重ねて、細かにテンポ、リズムパターン、イントロ、エンディングの確認をする。歌もほとんどのフレーズを決めておく。

 

 音楽性は異なっているのだが、それぞれにとても素敵な音楽になる。

 ジャズの人は、俗に私達が「しかけ」と呼ぶ、リズムやパターンの決め事が苦手である。そういうものがあると、即興の自由度が削がれるらしい。

 一方のスタジオ系の人は、長い即興が苦手である。楽譜に書かれているとすごく上手く弾くが、好きにやって、というとアイディアに困るらしい。それは、作曲やアレンジの仕事でしょ、という感じである。短いフレーズならこちらの人はすごく上手いが、何コーラスも、となるとそうはいかない。

 

 両方の得意なことを、ひとつのバンドでやっちゃいましょうよ、というのが、大変長くなりましたが、ZoolooZの考え方である。

 ジャズ・ミュージシャンの中でも際立って自由な、面白くも楽しい発想とアイディアに溢れた加藤崇之。

 スタジオ系のアレンジャーの中でも、おたく??と感じるくらいマニアックな松下誠に曲とアレンジの提供をお願いして、アレンジものの演奏経験が長く、さらにライブも結構やっているツアーミュージシャンの多田文信と宮崎まさひろがリズム隊につけば、可能性はとっても広がるのではなかろうか。

 凝った曲にアレンジ、体力のあるリズムセクション、ロックとジャズのギターの対比、そしてスタンダードからブラジルものフリージャズまでカバーする加藤のギター。リズムセクションが変われば、ソロの内容も変わる。ジャズのクリシェにとらわれない自由度の高いソロは、不変の安定したリズムに乗る方がはじけるはず。

 私の妄想はどんどん膨らみ、ついにレコーディングを完遂。CD発売、配信にこぎつけ、さらにライブを決めた。

 

 このユニットでライブをするのは初めてである。

 しかし、レコーディングより、ライブに可能性のあるバンドであることは確信がある。

 加藤崇之の描きためたイラストを、ライブの間プロジェクターで照射したいという計画も進めている。

 それから、冗談のようなのだが、ZoolooZ豆絞り手ぬぐいなんかも売る予定。

 

 道楽ここに極まれり、であります。

 サッカー・ワールドカップでの昨日の誤審。

あのゴールが、正しく審判されていたら、ゲームは別の展開だったかも。

別の展開になって、世界中の人々の感情は別の働き方をしたかも。

 

この世に「たら・れば」はない。

無いと知っているけれど、世紀の一戦が、たったひとりの審判の誤審で別なものになってしまう。

時々、しみじみ思うことがある。

ひとりの力は、あっけないほど弱い。

状況によっては、ちょいと突き飛ばされただけで、たとえその人がノーベル賞受賞者であっても、大統領であっても簡単に死ぬこともある。

けれど、ひとりの行為が、期せずしてものすごいエネルギーを引き起こすこともできる。

 

それにしても、あの誤審。

世界中が見ちゃったね。

審判からは見えるはずのない、俯瞰位置に据えられたテレビ・カメラの図像で。

 

う〜む。

  誰ものでもない土地には、献品台のようなものがあって、通りかかった部族の男たちが、そこに捧げものを置いてゆく。

 誰のものでもない土地、No Man's Land

 広い草原の、なぜだかそこだけ樹木が生えていない空間。そこに、木で作られた餌台のようなものがある。

 ある部族が置いてゆくものは、別の部族にとっては未知のものである。しかし、ある時、通りかかった男は、その置き土産を何かの役に立つと直感して道具入れに放り込む。彼の道具入れはそれほど大きくないため、このところさっぱり出番の無かった別の道具は、不要かも知れないとみなされ、頂いた道具の代わりにその餌台の上に置かれる。

 そこに、また別の部族の者が通りかかり、不要品とされた道具を見る。彼も、それが前に通りかかった何者かからもたらされたものであり、いずれ何かの役に立つことだろうと直感する。そこでそれを取り、また別の何かを置いて去る。

 

 「もたらされたモノ」という概念は、人間にしかない。

 ここにはいない誰かを想像するという、過去を思い起こす力。

 そして、いずれ何かの役に立つだろうという未来へと向かう空想もまた、人間にしかない。

 これらの特別なアイディアが、人間という種の始まりにある。

 ブリコラージュ。

 この働きをそう呼ぶのだそうだ。

 

 私にとってのブリコラージュは何だろう。

 試しに最も苦手な「怒り」という感情としてみようか。

 「怒り」という感情を、わたしは長いこと「忌避」していて、その感情を制御できない人を軽蔑もしていた。

 当然の事ながら、私の周囲には、いつも怒りがあったが、それは、私にとって意味も無く特別に悲しいことだった。

 互いが思いやることなく、要求がましいばかりであるとき、私の心は痛む。

 甘えはまだしも、要求となると、事は残酷だ。

 誰かが、誰かのために打ち出の小槌であるとき、あるいは打ち出の小槌にされるとき、生け贄となる誰かは、奴隷のようにせかされ、使われ、搾取される。いつしか、彼または彼女は、その役割のためにしか存在できないと思い込んでいく。甘えるどころか、恫喝して恥じない人々によって、正当に怒る力すら奪われて...。

 私の怒りは、無能なる人々のために生け贄となってしまった「優しい人々」に向けられる。働き者は、皆に富を分配したのだから、それなりの権力を堅持すべきだ。

 それを放棄する人を、私は怒った。

 

 しかしその時はまだ、恫喝と怒りが別の働きであることを、私は理解していなかった。そのために、人生の半ばまで、自分の怒りを点検し封印して、じつは「優しい人」当人によって行使してもらいたかった怒りを諦め、あらかじめ無いものと仮定した世界で生きようとしたのかも知れない。

 思い返すまでもなく、分不相応に肥大した甘えはそこら中に充満していた。

 思い通りにならないのは、「誰か」のせいであると皆が声高く叫び交わしているように見えた。

 その「誰か」が他でもない「私」であるように、私の耳にはそう聞こえた。

 多くの人の暴力的な甘えを、力のあるものが吸い上げ、分別し、怒りとともに無意味化すべきだったが、「優しい人々」にはそれができないのだ。

 膨れあがった甘えの澱は、そのまま私の足下に汚泥として流れ寄り、私は怨嗟と妬みの渦の中で窒息しかけた。

 

 ふと気がついてみると、怒りは、No Man's Landに置かれていたのだ。

 何度通りかかっても、わたしはそのツールしか認められず、それが私には疎ましいものだったため、いつも底知れなく絶望して泣きながらそこを去った。

 けれどもある時、ついに私は、それを手に取らざるを得なくなった。それは恐らく、私の中に新しい力が必要となったからだ。

 私は、古い自分に対する怒りを手に取って食べ、飲み下した。私ははじめて激しい怒りの嵐を体験し、しかしついにそれが、怖れるに足らず、封印すべきではない感情であることを知った。それを使っても自分が損なわれるわけではないと分かったからだ。

 怒りの渦中から立ち戻ったとき、私はNo Man's Landに、私の道具入れに取り込み終えた「怒り」の代わりに、何か別のものを置いたと実感した。

 それこそが、「怒り」という贈与への返礼だった。

 気がつくと、私の前には暗黒のような深い穴があって、その果て、その底には、動かぬ真実が置かれているように思われた。

 暗黒の穴は、私の出すどのような答えに対しても決して「是」と言わず、それどころか、答えが私の口から発せられようとするや否や、さささ...と逃走する。掴み所がないのだった。

 手応えのない修行。

 けれど、どれほど失望の回数を重ねても、それでも必ず「是」はある、という確信は、幸い私の中から消えることはなかった。いつの瞬間か、必ず必ずそこに手を伸ばして触れることができるに違いないと想い続けた。

 暗黒を提供したものは師である。

 師は、家であり土地であった。

 師は際限のない、問いのかたまりと見えたが、それはただ、私自身が反映していた故に暗黒を深め続けていったのだと、長じてからやっと分かる。

 その暗さと深さは、私の推量によるものでも、あるいは師本来のものでもなく、ただ、私という存在の可能性の総量だったのだ。私の前に広がっていた暗黒は、私の想像力の大きさまるごとに深いのだった。

 

 私の家や町は、ただ私から、師というその役割を振られたに過ぎない。

 奥行きのない絵画が、見る側の想像力によって遙か彼方にまで広がりを持つときのように、対象は主体の写し鏡だ。

    

 私がその暗黒の役割を家に割り振ったのは、私がその家の子どもであるという確信からだ。唯一無二。他の誰にも代替できない、ただひとりの「娘」としてそこに在ることは絶対のように思えた。

 家の空気は、時として、私とは全く異質なものになった。

 その上ヒステリックに「否、否、否」と私を追い詰めるので、困り果てた挙げ句の行為が、その「否」の由来、理由を問い続けることだった。

 「是」が出るまで、是非ともガンバラナイトナリマセン。

 

 師が私に求める仕草は、いつまでも私に理解不能な暗黒だった。

 しかし、成長するには理解不能であることが何より重要だったのだ。

 理解への渇望によってかき立てられた想像力は、どこまでも私の可能性を押し広げ続ける。

 

 広げ続けてついに、私は思いもよらなかった場所、ノーマンズランドに立ち至った。

 誰の土地でもないその地の、誰のものでもない広場の真ん中に、先人が残してくれた素敵な贈り物が置いてある。

 その贈り物を手に取り、陽にかざして眺め、その使い方を考えている。

 「ミノタウロス」は、佐藤亜紀の小説。この作家の作品は、以前から色々読んでいて、どの作品にも深く感心したのだが、感動した作品とすれば「モンティニーの狼男爵」だった。

 感心する、と感動する、の差は、私の場合は、読了したときの爽快感に依るようだ。快哉を叫びたいようなカタルシスがあったか否か。

 単純だなあ。

 「ミノタウロス」は、数人の少年たちが、激動の無政府状態、ロシア革命の真っ直中を、それぞれの短い履歴に則って個性をむき出しに暴れ回り、ギリギリの駆け引きで生存しようとするも叶わず、死んでゆくという物語。

 やりきれないような設定である。

 壊れた社会の中で「生存」することの切羽詰まり方が、ものすごい描写力で立ち上がる。

 次いで、追い詰められる度に、火事場の馬鹿力だけで危機を乗り越えて行きながら、ついには自分の限界を悟り、自分らしいと感じられるシチュエーションの中で死んでいく彼らの在り方。

 人間がいれば生きながらえる装置として社会ができ、だがバグった途端、一瞬後には逆の装置として生存を脅かす。

 その渦中に生まれれば、脅威を当然のこととして相対し、彗星のように駆け抜けて燃え尽きるみたいに消えてゆく。

 その人生は、汚れ腐って腐臭を撒き散らしながら、死人の山を乗り越えて続く。なのに、なぜかとっても美しい。少年たちは、いずれもただの、どうしようもない破落戸(ごろつき)たちなのだが、その人生が、少しの不満も含まない、含む暇すらないことに、神聖さというか清々しさを感じるのだ。

 人間は、考える。

 ついつい考えすぎるほどだ。

 考えるのは宜しいが、下手の考え休むに似たり、と感じることも多い。

 何かから手を抜いたり、サボるためにも考えるふりをする輩が多いような...。

 考えて、自分なりのこだわりがあるかのように見せかけて、じつは、それすら怠惰の言い訳、身体を使いたくないためのサボりだったりする。

 逆に、考える行為が肉体的なときは、感動が湧く。

 身体を使ってから考えると、色々良いことがあるのよ。 

 「ミノタウロス」を読む前に、佐藤亜紀による創作のレクチャーとしてまとめられた「小説のストラテジー」という本を読もうとしていたが、こちらの頭が悪くてついて行けず、何度も手にとっては放っていた。

 それが、ミノタウロス読了後に再挑戦したら、嘘のように良く読める。

 佐藤亜紀の中にある戦略を存分に反映した作品を読んで、その後だったから、創作に至る運動の道筋を追えた、ということか。

 何か、身体を使った後に考える方法と似ている。

 

露出について

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 30数年前、カリフォルニアで夏の学生ホームステイをしたときのこと。

 厳格なホームステイ先のお母さんは、現地の少女たちがタンクトップやキャミソールを着るのを嘆いていた。日本人のあなたは、ぜひそのような露出過多の下品な格好はしないで頂きたい、と彼女は言うのであった。

 そのホームステイは、各国の青年が集まる主旨のものだったので、同じ地区にフランス人の少年・少女たちもいた。同年代のフランス女は、超ビキニの水着でプールサイドを占拠し、ステイ先のおじさまを籠絡せんとばかりの妖艶さ。

 一方の私達、日本の女学生は白いワンピか何かを絶対脱がず、日本人は肌を見せませんのよ、伝統的に...など、イスラム圏の女性のようなことを言った。じつは、フランス女に競べての、自分の貧弱な体型にうんざりしていたのだったが...。

 肌を出す、ことについて、最近は日本の女子も大胆である。

趣味かと思われるほどの露出過多。

 しかし、肌を出すからにはダイエットやエステを経た、美しい自分を露出したい、という意識はある。ありのままの、むき出しではない。

 海外の、女性シンガー、どちらかというとソウル、ゴスペルなどパワフル系の方々は、体重が100kgを超えていても、露出する。当たり前でしょ、と言わんばかりに、段々になった身体をゆさゆさ揺すって歌う。

おっぱいだって、先っぽ以外は見えてもぜんぜん大丈夫!という意識か。たっぷりである。

 私達は、あらかじめ包んである肉体の一部を出す、と考える。

 彼女たちは、裸が基本で、これを幾分包む、と考える。

 

 私達は、着物から首や手足が出る、と考える。

 彼女たちは、身体があり、それを隠す布がある、と考える。

 ジャズ・クラブで歌っていた頃、FusionとかCross Overと呼ばれる音楽が、リアルタイムで発生し、私も4beatだけでなく、8beat16beatの曲も歌うことになった。そのつながりで様々な方たちと知り合い、ジャズ畑だけでなく、いわゆる業界のミュージシャンとも活動している。

 ある日、加藤崇之のギターを聴いていて、別のリズムセクションで演奏したら、この人はどんなことを弾くのだろうか、と興味が湧いた。

 その頃、松下誠がやってきて飲んだり食べたりしているところに、人生の偶然の中でもあり得ないタイミングで加藤崇之から電話が入り、今、そのすぐ近くでソロをやっているよ〜ん、良かったら来れば、というのである。

 松下誠は、徳永英明のサポートをしているアレンジャー、ギタリスト、ボーカリストであるが、加藤のギターを聴いて驚喜。私の頭に、ぴかりとアイディアが閃き、加藤・松下2ギターのセッション・バンドを作ってみた。

 それがZoolooZ

 ベースは多田文信、ドラムは宮崎まさひろ。

 バンド名は、レコーディングの間、動物園のような音が聞こえたことと、メンバーの態度がズルーッとしていたことに由来。

 その記念すべき初アルバム「ZoolooZ 01(ズールーズ・ファースト)が本日、発売になる。配信もしているが、加藤崇之のイラストで構成したジャケットがまた素晴らしいので、ぜひCDで聴いていただきたい。

 常日頃、優れたアーティストの企画を具現化するのが使命と思っている。

 その際は、アーティストの皆さんの自己主張を最大限活かしていただくが、これはどちらかというと私個人の「道楽」アルバムである。聴くと幸せになる。ズールーズを、なにとぞよろしくお願いします。

 715日には、吉祥寺MANDALA-2にて、レコ発ライブを予定。

 何が起こるのか、今からドキドキである。

  土曜日は、ミッド・タウンの美術館21-21のトークシリーズに出かけた。

 今回は、デザイナーの皆川明さん。

 何年か前に、テレビで拝見して、とても印象深く、機会があったらまた話しが聞きたいと思っていた。

 テキスタイルのデザインをPower Pointで流しながらの講演。

 「美は無限で、用は有限」など、深く素晴らしいコメントがたくさんあった。

 

 子育て期間中、子どもたちが成長する過程で、次々と発売されるゲーム機器やソフトを見ながら、このエスカレーションはどこまで行くのだろうと案ずる一方で、人間の感性や耐性には限界があるはずだから、いつか停滞するか、方向転換が起こるのだろう、と感じていた。

 我が家の子どもたちは、ゲームより音楽ライブやスポーツに熱中した。学校のクラスは、「ゲームを中心に暮らす子」と「それ以外に興味を持つ子」に分かれていたように思う。

 このゲームに感じたエスカレーションと同様の危惧は、生活の多くのことに対しても起こっていた。

 経済商品や過剰な機能やサービス、仕事のシステムやメディアに感じられるもの全てに。

 結局、一度は新しい刺激に驚喜する人々も、いつか疲れて飽き、自然に近い状態に振り戻って、平安を求めるようになるのだ。

 長い間、複雑で難解な方向へと向かうのが、進歩や発展と感じられてきたが、逆に、よりシンプルに分かりやすい方向へと向かうのも、別な形の進化だろう。 

 そしてその進化は必ず「美しい方」へと向かうはずなのだ。

 これまで見たことのなかった美しい一枚の絵、というものが、進化か否かを問わず、とにかく現在の私にとって貴重なものであることは、言うまでもない。

 そしてその絵に感動することは、自分にとっては感性の進化だと言える。

井の頭公園の樹

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吉祥寺は都民に大人気で、住んでみたい街ナンバーワンだそうだ。
きのうあまりにもお天気が良かったので、バスを乗り継いで、吉祥寺まで散歩に行った。
はじめは南口の公園付近で、アジアン雑貨やインド服を見る。
こんなにたくさん仕入れるんだなぁ、「この棚全部」って風に買うのかなぁ、と思いたくなる山盛りな品揃えのインド服屋さんで、ふわふわの生地のペイズリー柄のブラウスを買った。
それから公園に入り、池の畔のベンチで蚊の襲来を怖れながら読書。
「悪党的思考」という、日本中世以来の歴史を読み解いた中沢先生の本。
中沢先生の本は、難しいが、いったんは入り込むと脳みそが喜ぶ。
しかし、昨日は、読書よりも池の周囲の桜や紅葉の木の生え方が気になって仕方なく、ついに本を置き、メモ帳を取り出してスケッチした。
池の畔の木は全部、池に向かって身投げしているのである。
おそらくは、陽を遮るものがなく、水の照り返しもあるために、とりわけ明るい池の中央に向かって、幹や枝がどんどん伸びるからだと思われるが、後先考えないこの「伸び放題」のために支えきれなくなって、池にぼっちゃんと浸かりそうな枝には、木を組んだ台をあてがって、水没するのを防いでやっている。
大変な手間だろう。水の中に杭を打ち、その上に木を渡し、枝を支えるのである。
しかし、幹はそんなことお構いなし。
だいたい、一度だって真っ直ぐに伸びようと試みたためしがない様相だ。
土から出たそこからもう、女が男の足にすがる時みたいに、土すれすれを水に向かって水平に伸びているのだ。
「ふーーむ」と思う。
伸びたい方に伸びるのだな、木というものは。
誰が矯正しなくても、陽のある方に勝手にどんどこ伸びるのだ。
木は、志高く、真っ直ぐに空に向かって伸びるものだとばかり思っていた私は、この「ご馳走のある方にしどけなく倒れかかる」ことに決定した木の風情に心打たれた。
生命は、かくあるべし。  

今までと同じ事をしているのに、画然と、何かが「変わった」という気がした。
夜、本を読み終えて、ふーっと息を吐き、暗闇の中で天井を見ていた。
少し不安な気持ちもした。
けれど、どちらかというと希望の方が多い。
漫然と、そして漠然とだけれど、
私は、これまでと同じ事はしないだろう、と感じた。

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