2010年5月アーカイブ

ライブは楽しい

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久々のライブは、Organic Jazz Trioとのオルガンジャズ倶楽部でした。
相変わらず、みんな自由で、挑戦的(?)で楽しかった。
今後は、ジャズに日本語の歌詞をつけるという試みをしようと思う。
そろそろできそう...かな??


気分としては...

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 散文的な人になろうと思っている。

         ゆるいところが必要

余韻とか、匂いとか、

     あるいは、簾越しとか

くっきりとは見えない向こう側に、何かありそうだと感じ取る 

        

  女性ならば、そんな感じがいいのではなかろうか

建築家の発想

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六本木のミッドタウンにある21-21は、緑の中を散歩もできる気持ちの良い美術館だ。
先日ここで、建築家の藤本壮介さんのレクチャーを聞いた。

藤本氏は、北海道出身だそうだ。
その原風景とか、寒さとかの体験が、住居を発想するときの根底にあると仰る。
同郷の身としては、そういう話しを聞くと、それだけで無邪気に嬉しくなる。
 
藤本さんの建築は、時々、写真で見ていた。その時は、「気持ちは分かるが、暮らせるのだろうか」と感じていた。前衛アートのように、観念だけが先走って、住居として成立させられているのかが分からなかったのである。
しかし、よーくお話を聞いてみて、なぜそのような建物を造ることになったのか、その発想の根拠や経緯が、とてもよく分かった。
ぼんやりとした発想を実際の住居にするまでに作られた模型、つまり、手を掛けた試行錯誤の膨大さにも圧倒された。
とにかく、まずはじめに発想がなくてはらない。
発想する、しようとする、しちゃう、それが全てだ。
その斬新さもさることながら、今までになかったもの、なかった考えを発見する、という行為を追求しているということに強く打たれた。
ああ、私ったらこのところ休むのが大事と思うばかりに、ちょっと怠けモードに入っていたな、と分不相応な反省までした。
建築というものにまったく興味がなかった頃には、建築設計の目的を、区画することとか、配置すること、と捉えがちだった。それがある時、空間をデザインするという考え方を知って、とりあえず驚いた。
生きる前提が、二次元から三次元に変化したぞ、という感じである。
生きる、そして棲まうという人類原初の命題を、太古に戻って突き詰めてみることから発想される空間。
ひとつの仮定でしかないのかも知れないが、とにかくもその中に身を置いてみると、深く考えもせずに当たり前なものとして受け入れている、「2LDK70平米」のマンションに暮らしていては決して得られない、別の思考回路が成長し始めるらしいのだ。
人類の進化には、こういう方法もあるのだ。
人間は、生きている限り、現在の当然を前にして「本当にこれで良いのだろうか、実はあまり快適ではないのかもしれない。されば、より自然な快適さとは、いったいどういう状態なのか...」などということを、ずーーっと考え続けているべき生物なのではないか、と思った。
家は一生ものだ、と言うけれど、その決めつけ自体を疑ってみる。
住みやすいのかどうか分からないような変わった住居に住んでみて、体力がしんどくなったら楽な住居に住み替え、それに飽きたらまた刺激的な建築に住み、のようにチャレンジングに棲まっても良いのではないか。
お金がないときは、一間のアパートに住み、もっと無かったら河原で野宿する。すごくお金があったら、誰も住めないような高価なマンションや注文住宅に住む。
ただ金銭的な条件に則っているという事実があったとしても、いや!これはチャレンジなのだと言い張る。
そう、まるで冒険に出かけるときみたいに。

藤本氏の建築家の発想についての解説を聞きながら、私はどこかを旅しているみたいな、気持ちの良い別世界感を味わったのであった。
大型連休(ゴールデンウィークともいう)に札幌に行ってきた。
高校時代の音楽仲間と会って、当時作ったオリジナル曲を演奏し、精査し、コーラスをつけ、アレンジの可能性を相談し、という会である。
これらを、私が持ち帰って、打ち込みか演奏でオケを作り、それをまた札幌に届けて歌入れをする、という予定である。
この旅行の前に、新宿紀伊國屋書店に出かけて2冊の本を買い、持参した。
今回はひとり旅。
時間を気にせず、ゆっくりホテルで読書しようという心づもりである。
1冊は梨木香歩のエッセイ集「渡りの足跡」、もう一冊は村田喜代子の短編集「故郷のわが家」。
梨木香歩という作家は、好きとか嫌いというレベルでなく、「尊敬」ということばを使って紹介したい作家のひとりである。
この世に生まれてきたからには、ここまで深く、じっくりと思索していたいものだと、いつも感服する。全てのことに於いて、取り組む時間と手間が豊かなのだ。ちょうど、職人や学問をする人々のように、ゆっくりと、焦らず、丁寧だ。
最近では、深く手を掛けることと、拘泥することとが、何か一緒くたに受け取られてしまうように見える。
深く思索する人は、そうでない人から見ると「おたく」と呼ばれる人々と同じエリアにカテゴライズされてしまいそうだ。
生理的な欲求で何かに愛着したり、固着したりすることと、自分に問うために「深く掘り進む」こととは質が違う。ひとつことに労力や時間を掛けるという事実だけが同じであるため、表面的には似て見えるのかも知れない。
最近、その違いを分かる人にあまり出会えないのは淋しい。
「渡りの足跡」は、野鳥の渡りを追いながら、旅の途上、喚起され連想される、印象深い人々との出会いを書いたエッセイである。
人の在り方は、鳥たちが立ち向かう自然の厳しさと美しさを背景に、さらに複雑な人類の厳しさと問題とを同時に含んでいる。
梨木さんの落ち着いて静かな思考。それでいて底に滾るように流れる憤りや哀しみがひしひしと伝わる。
見習いたいのは、否応なく感情的になる毎に、客観の位置からフィードバックして、自戒し、冷静を取り戻そうとすること。
自分を感じるためには、この絶え間ないフィードバック作業が不可欠なのだ。
隅々まで、しっかり味わって人生を過ごす。
遅ればせながら、その覚悟の大切さを日々自分に言い聞かせる。
鳥を見る舞台は、北海道であったり、シベリアであったり。札幌にいてその本を読む贅沢に感謝した。
村田喜代子は久し振りに手にした。
この短編は、住む人のいなくなった自分の生家を片付ける初老の女性の話。舞台は日本の南、九州の田舎の、やや高原にある古い家。愛犬を連れて古家を片付ける日々にわき出る夢と幻想が楽しい。南米文学のように、「別にいいじゃん、妄想でも。そもそも人って、妄想でできているでしょ」といった雰囲気が、跋扈する。
独りで幼児の記憶に浸りながら作業をしたなら、なるほどそのような気配に取り憑かれるだろう。頷きつつ多少羨ましくもなる。私の生家はもう跡形もない。
山里の自然の中でめくるめく、生死の隔てすらない幻想。それは人の一生を、回想とは別の形でまとめる儀式のようだ。
この本にも、野鳥の話が出てくる。何となく「鳥」づいた旅の読書となった。
ところで、昨日、田無駅の構内にある売店で雑誌を探すついでに、ふと文庫本の棚を見ると、わずか10冊にも満たないその中に、佐藤亜紀の「ミノタウロス」があった。
駅の売店に置いたのは、出版社の営業さんか、それともその売店の仕入れ係?
いずれにしても、なぜこのようなセレクトが実現し、私の目に入ってきたのか。運命だと感じてその文庫を買った次第。
なぜなら、佐藤亜紀も大好きな作家。たしか、めったに他人をほめないこの人が絶賛していたのが梨木香歩だったように記憶している。この人が褒めるのなら、どうあろうが一度読んでみなくては、と手に取って一読。深く納得した。なるほどそうか。
「類は友を呼ぶ」と言うが、この場合「類」ではない。
「深さ」が友を呼んでいる。

ライブが近づいております。
5月28日金曜日、夜8時から。
休憩を挟んで2ステージあります。
場所は、西武新宿線の沼袋 「オルガンジャズ倶楽部」
出演は、ボーカル多田鏡子、ギター加藤崇之、ベース是安則克、ブルースハープ続木力
私はこのユニットを、多田鏡子(自分)with Organic Jazz Trio と呼んでいます。
それはこのユニットが、有機的だからです。
生きている生物の、無理のない動き、みたいな...。
メンバーは、無理をしてはいけない人と、無理なんかできない体質の人と、無理が嫌いな人たちのあつまりです。
驚いたのは、私が曲名を言った途端、「俺、休んでるわ」と言ってステージから下り、客席でお茶を飲みながらの鑑賞に回ったメンバーが、前回は2人もいた、ということです。
一応、ステージには3人は残るのですが、一度に2人が「俺、休むわ」といった場合にはどうすればよいのでしょうか。じゃんけんでしょうか。それとも、ステージ上に2人のみ、というユニットを実験してみるのでしょうか。
独りにならないことを祈ります。

「月夜の旅」は、ベースの金澤英明の発案により、ピアノの石井彰、ドラムの石若駿によるトリオでレコーディングした。それぞれのオリジナルとスタンダードが数曲。レコーディングエンジニアは、コジカナツルのレコーディングで金澤がノックアウトされた、青野光政(イデア・サウンド)である。
 青野氏と私は、1昨年、やはり金澤英明が、クラシックのコントラバス奏者、溝入敬三と柴田敏弥を連れて「春」という作品をものしたレコーディングの時に出会った。よくよく話してみると、それまで会ったことはなかったけれど、私の周囲にいるプレイヤーたちとよく仕事をしていた方だった。
 その青野氏。ヴィンテージマイクやコンプレッサーなどなど、レアで貴重な機材に埋もれて仕事をしている。たくさんのエンジニアに会ってきたが、この人は凝り方が尋常ではない。そして、アナログ時代から鍛えてきた音に対するセンスも驚異的に優れているのである。海外の録音を聞くときに感じる、「いつまででも聴いていたい音」を作ることの出来る、希少なエンジニアだと思う。
さて、「月夜の旅」は、トリオが全て同じ部屋に入って録った。ピアノ、ベース、ドラムが同一ブースに集まり、常日頃のライブと同じくアイコンタクトを取りながら演奏したのだ。その際に、青野氏は1本のマイクを「モノラル」用に立てていた。
ミックスの最中、青野氏は不用意にも金澤英明にモノラル録音を聴かせてしまった。当然、金澤から私に電話が入り、「モノラル盤も出したい」と興奮気味なのである。そんな予算はないので「だめだね」と答えたものの、私も、その音の素晴らしさを感じ取っているだけに、惜しいという気持ちは捨てきれず、結局、現在発売されているステレオ盤のライナーに、「モノラル盤お作りします」の告知を入れてしまった。
モノラル盤は、注文を受けてから、1枚ずつの手作りである。
それが、日々、話題を呼んでいる。
「諦めないで手作りするとは、なんていい話だ」と言って下さるライターさんもいて、ほっと救われた思い。
感動と熱意は、軽々に諦めたり、無駄にしてはいけない。
4月初めにリリースとなった、スタジオ・トライブ・レコーズの新譜「月夜の旅」のレコ発ライブが、本日、目黒Blues Alleyでございます。
石井彰(Pf)、金澤英明(B)、石若駿(Ds)という異世代混在のスリリングなピアノ・トリオです。
とくに、ドラムの石若駿は、高校在学中の18歳。将来は必ず日本を代表する音楽家となる逸材です。
当初、私はこのトリオを「ミネラル'(鉱物)トリオ」と名づけておりました。石、石、金だから、という下らない理由なのですが、すっかり、バンマス金沢氏に却下を喰らい、仕方なく、3名様の連名バンドなっております。

そういえば、石若駿の朋友に、同じ札幌出身のアルト・サックス奏者寺久保エレナがいます。
今年札幌の高校を卒業し、9月からはバークリーに特待生として行ってしまいますが、彼女が参加しているアルバムを昨年、私共のレーベルでリリースしました。ピアノ界の奇才、佐山雅弘率いる若手グループ、RED ZONEのアルバムです。短い夏のツアー用に少量プレスしました。ジャケットは、何とあの「和田誠」様です。このアルバム、現在はAmazonのみで入手できます。販売元は、当社。
さて、先週、テレ朝の「題名のない音楽界」にエレナ嬢が出演しましたところ、今週は大変な量の注文が参りました。ありがとうございます。テレビの力は偉大であります。
独りで気ままにやっていた個人事務所が、スタジオトライブ設立と同時に株式会社となり、以来3年間あまり、ありとあらゆる業態を試してみました。
そして、昨年の12月を以て分社することとなりました。
当初からの共同経営者である田島さんは、レコーディング・スタジオ、トライブを引き継ぎ、新たに「サウンド・ブライト」社を設立(この方は、成蹊大学のモダン・ジャズ・研究会での先輩で、只今は超安定企業の代表取締役を務めておられます)。
私の会社は、「ラルゴ音楽企画」の名称のまま、音楽教室の経営とジャズ・レーベルの運営、イベント企画、デザイン部門など、音楽を形とする仕事を多角的に進めていく予定。
今年は、素晴らしいアルバムを立て続けにリリース。
さらに、イベントも盛りだくさんです。
情報は、徐々にお目に届くかと思います。何とぞよろしく、これまで通りのお引き立てをお願い申し上げます。

新しいブログ

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新しいブログです。
長らく、私の個人ページで呟いてきた雑談は、このページに移動いたします。
新しいブログになったのには、様々理由もございますが、それは追々のお楽しみ、ということで。
では、相変わりませず、よろしくお願いいたします。

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