2006年8月アーカイブ

世代間ギャップ

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 直木賞に『まほろ駅前多田便利軒』という作品が選ばれた。
 これは、私の事務所のことではないか、と思うようなタイトルである。
 多田は便利に使われておる。
 この苗字は夫のもので、私は未だに音楽仲間からは「うちうみ」とか「うーさん」と呼ばれたりする。「ただ」という苗字は、始終聞き間違えられてめんどくさいことも多いが、「駅前、多田、便利」という三題噺となればいかにも身近であるため、読んでみなくてはなるまい。

 ということで、買って読んでみた。
 感想をひとことで言えば、
 「若い!」
 である。
 ここ数年、芥川賞とか直木賞を読むたびに、
 「こんなんでいいのか」
 と感じていた。
 何だか、ゆるいのである。
 内田百間(もんがまえの中ほんとは月みたいな字ね、探せなかった)とか井伏鱒二とか深沢七郎とか色川武大とかを読んだときの、「おおー、絶対敵いません、全面降伏です」という絶賛は出てこない。
 あの、背面壁です、の地点まで追い詰められたような絶対的な読後感は、近年の作品にはない。
 どちらかといえば、「何かと較べりゃ、こちらがまし」という、相対評価的なものばかり。
 文学の程度は、こんな風に年々落ちて行くのだろうか、とも思ったりした。

 しかし、今回の作品を読んで、はたと気づいたことがある。
 それは、私自身が年を取った、ということだ。
 はじめ、作中人物の描写を読みながら思い描いた登場人物の姿は、私と同世代の男が若かった頃の感じであった。
 しかし、章扉に描かれたマンガによれば、彼らはTOKIOの長瀬君やオダギリ・ジヨーとかのような、背が高くクールな今時のイケメン風の姿として描かれてあるのだ。
 そうか、時代背景が違うのだ。

 娘、息子たちによって、最新の流行やら時代の傾向やらを知ることはできる。だが、彼らの心象風景、原風景までは想像できない。
 とくに、孤独感、追い詰められ感、絶望感、焦燥感、劣等感、挫折感などのネガティブ系が無理である。
 よく、幸せの形はひとつしかないが、不幸は人の数だけある、と言われるが、それと同じ。どの時代にも、幸せとは家庭の安泰とか、健康とか、豊かさとかで表現できるが、不幸は人のみならず、その時代ごと、環境ごとに千差万別である。

 それで思い出したが、心の病も同様で、脳の機能の問題である統合失調症などは外国人医師でも手がけられるが、文化的要因の強い神経症は、外国人医師の手には負えないという説を聞いたことがある。
 「疾病」か「懊悩・葛藤」かというのは、治療の一大分岐点ではある。

 で、小説。
 どんなに恵まれた時代に生きていても、いのちの一回性ということを考えれば、「懊悩・葛藤」はつきまとい、それに程度の高低を与えることなどできない。
 しかし、歴史を顧みれば、安楽な時代と苛酷な時代は確かに存在する。
 苛酷な時代を生きた人の、自己を見つめ直す作業として為される「文学」には、やはり凄みがつきまとう。
 だが、人の成熟に関して、環境に頼るなんてことはできない。
 下手をすると、「戦争がないと人間は呆ける」みたいな変な方向に話が行きかねない。目を凝らせば、動乱の世でなくとも、この世は充分酷薄、不条理に満ちている。
 それをしっかと見て、考え抜くか抜かないか。
 そこにこそ、文学性を左右する何かがあるような気がするのだが...。

 そんならお前が書け、と言われちゃいそうで、後ずさる。
 しんどい思いを追体験なんか、とてもじゃないがしたくない。
 それを敢えてしようという作家の方々の生きざまは、もう「業・カルマ」を負っているとしか思えない。
 尊敬するとか感心するとかの前に、「ご苦労様です」と深く頭を垂れたくなるのだ。

 文学に世代間ギャップは存在する。
 願わくば、若い作家の方たち、小説を書くという行為を韜晦しないで欲しい。
 「どうせ私オタクですから」というポーズは良くない。
 もっと、誇りを持って欲しい。
 小説を書くのは大変なことなんです。
 大したことをしていませんと、防衛するように唱えるよりも、これはすごい作業なんですと、声を大にしてもいいじゃないの。
 そうしてくれれば、私も照れずに若者の小説を読めようになるかも知れない。

 ガル・コスタという、ブラジルの超有名な歌手のライブDVDを見て、心底感心。昨年、ブラジル人生徒のアンジェリカさんが、帰郷した際のお土産に下さったもの。ボサノヴァの御大、トム・ジョビンの名曲を20数曲歌っている。
 ボサノヴァといえば、静かーーに歌うものだと思っている人が多いが、全体を見るとそうとばかりも言えない。サンバはかなり張り上げるし、ブラジル全体の音楽の種類の中で、抑制を効かせて歌うのがボサノヴァだけ、というような事情が見える。
 ガル・コスタは、声量のあるプリミティブな臭いの強い歌手であり、トム・ジョビンをすら、高らかに豊かに歌い上げている。それが気に入った。
 さらに、バックのバンドが素晴らしい。ともに見たピアニストの信田さんが「近年なかったカンドーだ」と興奮し、何曲か同じようなアレンジでやってみたりした。

 同じようにやるからには、ポルトガル語でなくてはならない。ポルトガル語は、スペイン語とかイタリア語と似ているが、リエゾンが多くてフランス語みたいに発音する部分もある。耳を澄ませ、微妙な口の開け方やタイミングを聴きまくった。

 普段は、スタンダードやポップスが多いので、歌う曲には英語の歌詞が多い。たまに、カンツォーネやシャンソンも歌うから、イタリア語やフランス語を覚えることもある。中では、ポルトガル語が最も難しかった。ボサノヴァという、洗練されたリズムに乗るとなおさら、発音以上にタイミングが難しい。

 最近は、カラオケの大勢の生徒に教えるために、演歌から歌謡曲、J-popまで日本語の曲も様々歌ってみたりする。

 歌は、何語で歌うべきだろうか。こんな事をしていては、主体性がないみたいじゃないか。やはり、日本語の曲をもっと追求した方がいいのかな...。
 独り悶々と考えたりもした。

 ある時、ふと思った。
 オペラの歌手たちは、イタリア語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、他にも何でもありである。作曲家の出身国に従って、人気演目には様々な言語が用いられている。役をもらうためには、多くの言語で歌えないと可能性が狭まる。
 「そうか! なら、私もなんでもいいや」

 歌ってみれば、それぞれの国の音楽は、それぞれの言葉のリズムに乗っかっていることも分かる。気持ちよい。

 歌に復帰して6年目。最大の収穫は、どんな種類の歌もこだわりなく歌えるようになったこと。「あれ歌え、これ歌え」と背中を押されて、初めはおずおず取り組んで、やがて「おおー、これか」と歌い方を発見する。楽しかった。

 実際、オランダの歌手(ローラ・フィジィ)、ブラジル出身の歌手(イリアーヌ)、ドイツ生まれの歌手(ケビン・レトゥ)、みんな出身地の言葉に寄りかからず、貪欲に多言語で歌っている。多分、本格的な発音でないものもあるはずだ。だから別にいいんだ、と決めた。曲のリズムを生かすために色々な言葉で歌おう。

 そして、私のこの先の興味はなんと日本古来の「義太夫節」だったりする。「地唄」も良さそう。ある仕事のために、日本の伝統音楽を調べているうちに、幼い頃習った「日舞」の曲がどのように分類されていたかを再発見。むくむくと「日本的様式美」あるいは「日本的発声法」に興味が増してきた。
 極端な「習い事好き」は、この先も永遠に治りそうもないみたい。
 2~3年したら、和服で三味線弾いているかも!!

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