2008年9月アーカイブ

 決まり事があることに気づくと、途端に興味が失せる。
 頭をユルくしか使わず、手を抜いてかかると、気づかないうちに決まり事に則って物事が進み、それにつられて考え始める。
 すると、頭の中がかゆいような感じになる。
 「嫌な感じだぞ!」と警鐘が鳴るので、点検すると、決まり事がそしらぬ顔で壁の前に佇んでいたりする。
 「お前だよ!」と指さし、つまんで、外に放り出す。

   物事を発想するときは、油断大敵だ。

 一番考えているのは、歩く時と、エステの時。
 歩いているときは、実質的な考えが浮かぶ。
 エステの時は、妄想がふくらむ。
 この、「妄想癖」を発明発見の母体だと信じて、爆走することにしている。
 妄想する才能は、もしかすると、私のオリジナルかも知れないから。

 この頃発見したのは、自分が独特であることすら知らないで、ひたすら自分と取っ組み合いをした結果だけが面白いということ。
 つまり、オリジナルなもの。
 B.B.Kingは、フレーズの終わりに変なヴィブラートがつくけれど、あれは、その瞬間が快感で止められないために、ずーーっとやり続けて、ついに押しも押されぬ彼のオリジナルになったみたい。
 ブルースを歌おうとして、彼のそういう歌い方とか、節回しを真似しても、同じような説得力は出ない。
 何でも、ナニナニ風にやっても、絶対に説得力は出ない。
 ナニナニ風ではなくて、私の快感主導でやり続けた結果が、たまたま響いた誰かから芸術と呼ばれると、やっと芸術になるのだ。
 別に、芸術でなくても、絶品でも、お気に入りでもいいけど...。
 誰かにとって価値あるものであるかどうかは、副次的なものだろうね。
 ただ、自分がそれをやらねば治まらない、というものをやり続けることがいいのだ。
 それが、私の場合妄想することだというのは少しずつ分かってきた。

 という流れで、オリジナル曲作りは、10月半ばと予定している。
 3日間は死守して、それだけをやるぞ~!!!
 秋だからなのか、何となくさびしいのだ。
 仕事は忙しいし、友達も周りにたくさんいて、家族もみんな元気なのだが、なんとな~くさびしい気がする。

 だって、結局人は独りなんだから、という答えはある。
 さびしいことを、何かの欠落かと考えて、問題探しをしようとする心が正しくない。
 多分、人は我に返るとみんなさびしく、みんな独りで、でもまあいいか、と感じて生きている。

 そのさびしさが激烈だったりすると、お酒を飲み過ぎたりするのだろうか。

 わたしは、ほとんどお酒が飲めないので、酔って憂さを晴らしたことがない。
 酔って、気持ちが悪くなることはある。

 さびしさは、誰にも共通にある感覚だから、「泣けます」と謳う映画が流行るのだろう。
 さびしいとは何なのだろう。
 人がいつか死んで、別れ別れになること。
 伝えたい心が伝わらないこと。
 誰かのために生きる人はいないこと、言い換えれば、誰もが自分のためにしか生きられないことに納得が行くこと。
 愛しても苦しいばかりであること。
 愛されても、嬉しくないときもあること。
 愛が単なる執着である様な気がすること。

 というか、そもそも、愛というものは無いこと...。
 さびしいのは、それに気がついたせいかも知れない。
 気がついたから、自分と他人の心に過剰な期待はしなくなる。
 それはある意味、楽なことではある。
 そして、それとひき替えに、さびしさが来るのだ。

   それが人生の平凡な姿かと納得して、ひとり、じ~ん、としたりもするのだ。

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