吉祥寺は都民に大人気で、住んでみたい街ナンバーワンだそうだ。
きのうあまりにもお天気が良かったので、バスを乗り継いで、吉祥寺まで散歩に行った。
はじめは南口の公園付近で、アジアン雑貨やインド服を見る。
こんなにたくさん仕入れるんだなぁ、「この棚全部」って風に買うのかなぁ、と思いたくなる山盛りな品揃えのインド服屋さんで、ふわふわの生地のペイズリー柄のブラウスを買った。
それから公園に入り、池の畔のベンチで蚊の襲来を怖れながら読書。
「悪党的思考」という、日本中世以来の歴史を読み解いた中沢先生の本。
中沢先生の本は、難しいが、いったんは入り込むと脳みそが喜ぶ。
しかし、昨日は、読書よりも池の周囲の桜や紅葉の木の生え方が気になって仕方なく、ついに本を置き、メモ帳を取り出してスケッチした。
池の畔の木は全部、池に向かって身投げしているのである。
おそらくは、陽を遮るものがなく、水の照り返しもあるために、とりわけ明るい池の中央に向かって、幹や枝がどんどん伸びるからだと思われるが、後先考えないこの「伸び放題」のために支えきれなくなって、池にぼっちゃんと浸かりそうな枝には、木を組んだ台をあてがって、水没するのを防いでやっている。
大変な手間だろう。水の中に杭を打ち、その上に木を渡し、枝を支えるのである。
しかし、幹はそんなことお構いなし。
だいたい、一度だって真っ直ぐに伸びようと試みたためしがない様相だ。
土から出たそこからもう、女が男の足にすがる時みたいに、土すれすれを水に向かって水平に伸びているのだ。
「ふーーむ」と思う。
伸びたい方に伸びるのだな、木というものは。
誰が矯正しなくても、陽のある方に勝手にどんどこ伸びるのだ。
木は、志高く、真っ直ぐに空に向かって伸びるものだとばかり思っていた私は、この「ご馳走のある方にしどけなく倒れかかる」ことに決定した木の風情に心打たれた。
生命は、かくあるべし。
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