子どもの頃から、自分の外にはなかなか手強い世界が広がっていて、それに押しつぶされないように、または負けないように生きなくてはならないのだ、と感じていた。
なぜそう感じたのかといえば、時代と親世代の戦争神経症のせいだと思う。
子育てしたり、フリーランスで仕事をしたりする中では、ある程度その危機意識みたいなものが役に立っていたのかも知れないが、そうこうしているうち、随分世の中の見え方が変わってきた。
競争でもなければ、闘いでもない。
他者と競うときは、ルールがあるべきだし、競っているという自意識がなくてはならない。
それでも、スポーツでもない限り、ルールが明確なゲームというものはそんなにあるものではなく、私は今あなたと戦っているんだ、という自意識を持つ人も少ない。
日本が平穏だから、油断しているんじゃないの、と言われればそれまでだが、私の人生はその平穏な日本に於いてもなかなかシビアだったので、必然、自分は人生と、あるいは世間と競い、戦っているつもりでいた。
それが、ある日ポンと広い野原のような所に出た気がして、あらま、どうやら人生は、闘いや競い合いが基底にあるものではないらしい、と気づいたのだ。
では、どんなものかと問われれば、好き勝手に生きている人たちが、たまたま出会ったり別れたりする場、とでも言おうか。
各々の好き勝手を、縁あって出会った互いがどのように解釈するかが、出会いに対する充実感の分かれ目。
自分は自己中心的に美しく生きているなぁ、と瞬時にでも感じられれば、大成功の人生だと思われる。
自己中心は、「ジコチュー」とか呼ばれて忌み嫌われる側面もあるようだが、私は自分を惜しむことに決めたので、自己中心を忌み嫌う人たちとはつるまないことにした。
自己中心で生きるにはそれなりの修行が必要だが、熟練すると大変すっきりする。要は、他の人から見て分かりやすい人になればいいのだ。
世界に自分を惜しみなく与えよ!! かな...。
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