いつのまにか、ボイストレーナーをしていた。
はじめは、「歌」を教えるつもりだった。
ところが...である。
じつは、歌を歌うには、というより正確には、思い通りに歌を歌うには、まず発声ができなくてはならない。
楽器が上手な人も、リズム感の素晴らしい人でも、歌うとなるとなかなか思い通りには行かない。
それは、発声という行為が楽器演奏に劣らない技術と修練を要するものだからなのだ。
発声は、声帯でする。
人にとっての発声器官は声帯で、唯一、これだけである。
声帯は、気管の喉に近い出口付近にある、二枚の粘膜とでも呼びたいような小さな器官。
これが周辺の筋肉によって緩み緊張し、閉じたり開いたりという、色々微妙な動き方をする。音程と声質は、この声帯の状態の変化による。
それにしても、声帯自体は、いかにもどう鍛えようにもない、ただの二枚の粘膜質なものである。長い短い、厚ぼったい薄い、と個人差はあるが、人によって身長や体重のような明確なほどの差があるわけではない。
つまり、使いようを知るしかない器官である。
声の豊かさは、どちらかといえば声帯より頭骨の形で差がつく。
頭骨が大きく、鼻が大きく、口が大きいと高い確率で豊かな声になる。
良い声を出すには、顎と首と肩の力を抜く。
そして、呼気吸気を楽曲に適応的に行う。
呼吸では胸式と腹式を正しく行う。
正しい姿勢と柔軟な胸部、腹部が望まれる。
そして、歌う場合、呼吸はリズムの流れに沿う。
共鳴は、主に鼻と口、喉を含む首とに起こる。高い声では頭部も。
低い声は、胸と首。
しかし、多かれ少なかれ、常にこれらの部分全体が振動している。
頭部や首は、声帯廻りにもっとも負担のない角度に動かされる。
頭骨の中心に共鳴座があって、そこが常に広く保たれるように、周囲の器官を動かしながら調整する。
これだけのことを説明するのに、平均して数ヶ月かかる。
最も難しいのは、自分の身体を部分に分けて感知すること。
スポーツをしているとか、踊りをしているという場合は、自分の身体を部分に分けて感じることが比較的容易だ。
それにしても、歌の場合、演奏とは違って目には見えない器官ばかりを使うため、指導は発声する以前の、自分の身体内部のイメージを掴むことから始まる。
初期には機械的な運動に馴れること。それが進むと、身体イメージはさらに細かくなり、リズムやテンポに従う息の吸い方、吐くための通し方、音程や強弱に伴う力点の移動や部分の広げ方、ニュアンスのための重心の吊り方、などなど、微分といっても良いほどの使い方が提示される。
多くの場合は、頭の中に作り上げたイメージだけで歌ってしまうため、感情の動きと身体の状態が直接連動してしまい、興奮しすぎのために喉を締め、肩に力を入れる、という身体のまま歌ってしまう。
これをほぐすのが、最初の仕事だ。
楽に自分らしい声を出せるようになると、表情まで変わってくる。
だって、声は、自分を表現する最初のものだから。
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