kyokotada: 2005年3月アーカイブ

キャラ立ち

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 キャラが濃いとか、薄いとかいう話題に出会う。
 キャラとはキャラクターの略らしいが、人格、性格、個性などの意味で使われているようだ。
 キャラが濃いというのは、個性的、目立つ、印象に残る、特徴があるなどのことで、逆に薄いというのは、平凡、地味、印象が薄い、特徴がないなどのことらしい。
 私は、子どもの頃からキャラが濃かった。
 だが、子育て中に一気にその特徴を隠蔽した。
 つまり、本来濃いキャラだったのに、ここ二十年ばかりは、キャラの薄い人として生きてきたわけだ。

 私が住む地域で、私が歌手だとか本を書いているということを知っていた人はほとんどいなかった。
 美容院にも行かなかったし、ふだんは化粧もしなかった。着ているものはトレーナーやジーンズで、それもスーパーマーケットで買っていた。
 そういう私を見ていた人々は、私が歌う場面を見て本当にびっくりするらしい。
「別人かと思いました」

 じつは、今考えるとこれらは私なりの保身だった。
 幼児にとって、母親が目立つとろくなことがないと数年で分かってしまったから。
 その日々の実態は、図書館から借りた結構難解な書籍を読み、臨床心理学や音楽史の勉強をし、特技みたいなことを生かして、フリーのライターやら音楽の先生やらをしていたが、それはごく親しくなった人しか知らないことで、今もご近所ではそれほど実体を知られていない気がする。

 その立場のままエッセイをアップしていたわけだが、これがだんだん辛くなってきた。本質的には、私はもっとシニカルだったり、批評的だったり、鳥瞰俯瞰の好きなタイプである。
 けれども、書きながら読者となってくださっている方々の顔を思い浮かべると、ついついサービス精神が働き、ネガティブなことも、脚色して食べやすく書いてしまう。
 それは、実は本来の自分自身ではないのではないか。
 筆が止まりがちなのは、カタルシスがないからではないか。

 モチベーションは、いつも問題意識から発する。
 問題意識の最初には、居心地の悪さとか、違和感とかがある。
 その居心地の悪さの根元に目を凝らす行為が創造意欲に繋がる。
 若き日の夢というのは、ユートピアを求める心に似ている。
 私もそれを音楽の世界に求め、出版の世界に求め、学問の世界にも求めてみた。
 そして、そのどれもが夢よりは「生業」というものと切り離しがたいことに目を覚まされた。
 モチベーションとは、それを生業として続けるために持続されるものなのだ。
 それによって生きてゆくためになし続けられる行為。
 そこには、夢よりも多く、妥協や矛盾や幻滅や仕方なさや惰性やらが堆積する。
 そうではあっても、音楽や散文や理論の本質に感動すべきものがあると体験しているから、それらを何とかやり繰りしながら続けたいと願う。
 その態度には、いつも自分を鳥瞰して、業界全体の中での取るに足りなさとか、わずかに残る個別性とかを自覚しようとする行為が伴う。それは、一般の世間ではクールとかシニカルな態度として理解されがちだ。
 もちろん、自分は自分であり、時によっては代わりのいない立場である場合もある。
 しかし、職業人であろうとすると、その自分を正確に値踏みしていないとたちまち窮する。
 私にとっては、かなり厳しいことだ。

 けれど、その厳しさと、面と向かおうという気になってきた。
 子どもを育てていた間には、安全を願って擬態を通したけれど、彼らももういい加減手を離れたし、何より、私の中で収まらないものが出口を求めているようなのだ。
 という、大層な宣言をしても、明日からバリバリ動き出すという程でもないとは思うけれど、まぁ、そういう自覚が始まってはいる。
 もう少し大人らしく振る舞おうと、そうしなくてはいけないと感じているのだ。

 それは、2月28日のことだった。
 仕事帰り、近所のコンビニ前に体格の良い男子がたむろしているのに出会った。
 よく見るとその中には我が息子の姿も。
 他の少年たちは、幼稚園・保育園時代から仲良くしている良く知った子ばかり。
 ほとんどが野球やサッカーをしているから、身体だけは大きい。
 ちょっと声をかけて、私は家へと急いだ。

 夜の11時を回って、寝る支度をしていた時、「あれ、まだ帰ってこないな」と気になった。しかし、その日は高校入試が全て終わり、続く学期末試験も終わったというめでたい日だったので、少々遊ぶに違いないとは思っていた。
 息子は、推薦入試で1ヶ月早く合格が決まっていたので、勉強中の他の友だちに遠慮して、じっと自宅で過ごす日が続いていた。
 一般入試は、明けて1日が合格発表である。

 そこに電話が鳴った。
 何と、警察からだった。
 よもや、交通事故か、喧嘩に巻き込まれて怪我でも、と不安が過ぎる。
 しかし、警察によると、
 「息子さんが、入ってはいけないところへ入ってしまいました。不法侵入で補導しましたので、身請けに来て下さい」とのこと。
 『入ってはいけないところ』という曖昧な説明ながら、すぐ参りますと返事して電話を切った。
 自転車を漕ぐ顔に、深夜の風が冷たい。
 まったく、なにをやらかしているのやら...。

 警察に着くと、すでにひとりの母親が呆然とした顔で書類を書いていた。
 人の好さそうな警察官が出てきて、
 「科学館の屋上で騒いでいた」
 と言う。
 書類を書き終え、しばらく待っていたら息子が出てきた。
 「かなり、反省しているようですが、以後は気をつけて下さい」
 丸顔の警察官は、続けて
 「せっかくの四番打者なのにねぇ、高校でも野球続けるんだぞ」
 私には「ご苦労様」と頭を下げて笑顔で送ってくれる。

 「屋上で何やってたの」
 「ポコペン」
 「騒いだんでしょ」
 「うん、隠れるとこいっぱいあって、盛り上がった」

 ポコペンは、かくれんぼの一種である。
 9時頃扉の閉まった科学館に忍び込み、外から伝って屋上に上がり、かくれんぼをしたらしい。
 幼馴染みというのは、集まると幼児化現象が起きる。
 「そしたら、パトカーが来た。どんどん来て8台来た」
 近所の人が、騒ぐ声を聞きつけ、不良の喧嘩だと思って通報したらしい。
 「10人くらい警官が来て、何してるんだ、って」
 「それで、何て答えたの」
 「だからぁ、ポコペンしてました、って。そしたら、何だ、それ、って言うから、かくれんぼです、って言った」

 パトカーは8台もあったので、5人の友だちは、ひとり一台ずつに分かれて乗せられ、警察署へ行ったという。

 毎日、真面目に部活と勉強をし、それほど外に出かけない息子が、開放感からたまたま夜遊びしたら、一発で御用である。
 じつは、二番目の娘はかなり不良だった時期があり、とくに中学の後半、金髪に髪を染めて夜な夜な遊び回っていた。その仲間には、喧嘩などで鑑別に行った子が何人も居て随分心配したものだが、なぜだかその娘は一度も補導されなかった。
 今では、真面目な普通の生活になっているが、この出来の良い弟の補導事件、彼女にとっては大変嬉しいことらしく、中学校時代の悪い友だちの写真など引っ張り出して武勇伝を語ったりしている。
 今だから笑って済ませられるが、初めて聞くことばかりで、私しゃ背筋がぞーーっとした。

 人には運・不運、というものがある。
 息子の場合、難関突破で第一志望に推薦合格した後でこれ。
 運を相殺したと思うしかないか。
 それにしても、ポコペンで補導とは、まったくなんのこっちゃ。

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