会った人: 2010年5月アーカイブ

建築家の発想

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六本木のミッドタウンにある21-21は、緑の中を散歩もできる気持ちの良い美術館だ。
先日ここで、建築家の藤本壮介さんのレクチャーを聞いた。

藤本氏は、北海道出身だそうだ。
その原風景とか、寒さとかの体験が、住居を発想するときの根底にあると仰る。
同郷の身としては、そういう話しを聞くと、それだけで無邪気に嬉しくなる。
 
藤本さんの建築は、時々、写真で見ていた。その時は、「気持ちは分かるが、暮らせるのだろうか」と感じていた。前衛アートのように、観念だけが先走って、住居として成立させられているのかが分からなかったのである。
しかし、よーくお話を聞いてみて、なぜそのような建物を造ることになったのか、その発想の根拠や経緯が、とてもよく分かった。
ぼんやりとした発想を実際の住居にするまでに作られた模型、つまり、手を掛けた試行錯誤の膨大さにも圧倒された。
とにかく、まずはじめに発想がなくてはらない。
発想する、しようとする、しちゃう、それが全てだ。
その斬新さもさることながら、今までになかったもの、なかった考えを発見する、という行為を追求しているということに強く打たれた。
ああ、私ったらこのところ休むのが大事と思うばかりに、ちょっと怠けモードに入っていたな、と分不相応な反省までした。
建築というものにまったく興味がなかった頃には、建築設計の目的を、区画することとか、配置すること、と捉えがちだった。それがある時、空間をデザインするという考え方を知って、とりあえず驚いた。
生きる前提が、二次元から三次元に変化したぞ、という感じである。
生きる、そして棲まうという人類原初の命題を、太古に戻って突き詰めてみることから発想される空間。
ひとつの仮定でしかないのかも知れないが、とにかくもその中に身を置いてみると、深く考えもせずに当たり前なものとして受け入れている、「2LDK70平米」のマンションに暮らしていては決して得られない、別の思考回路が成長し始めるらしいのだ。
人類の進化には、こういう方法もあるのだ。
人間は、生きている限り、現在の当然を前にして「本当にこれで良いのだろうか、実はあまり快適ではないのかもしれない。されば、より自然な快適さとは、いったいどういう状態なのか...」などということを、ずーーっと考え続けているべき生物なのではないか、と思った。
家は一生ものだ、と言うけれど、その決めつけ自体を疑ってみる。
住みやすいのかどうか分からないような変わった住居に住んでみて、体力がしんどくなったら楽な住居に住み替え、それに飽きたらまた刺激的な建築に住み、のようにチャレンジングに棲まっても良いのではないか。
お金がないときは、一間のアパートに住み、もっと無かったら河原で野宿する。すごくお金があったら、誰も住めないような高価なマンションや注文住宅に住む。
ただ金銭的な条件に則っているという事実があったとしても、いや!これはチャレンジなのだと言い張る。
そう、まるで冒険に出かけるときみたいに。

藤本氏の建築家の発想についての解説を聞きながら、私はどこかを旅しているみたいな、気持ちの良い別世界感を味わったのであった。

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