衣裳、衣装、意匠...

user-pic
0

 私のような単品の歌歌いにとって、それぞれのライブやコンサートで何を着るかは大変な問題である。
 たいていの場合、ギャラは決して良くないが、にもかかわらずそれに交通費と衣装代がこみである。
 そりゃ、少しでもきれいに見せたいから、何とかして格好のつく衣装を調達しなくてはならない。
 服だけではない。
 靴、下着、アクセサリー、さらにはメイク道具。
 美容院代なんかも含まれる。
 だがしかし、そこに回すお足というのは、いつも最後の最後になる。
 その前に、生活しなくてはならず、子どもの教育費も出て行く。
 さらに、歌のレパートリーを仕入れるためには、CDやら楽譜やらも欲しい。 
 もちろん音源を再生するコンポやMDウォークマン、あるいはi-podなど。
 再生装置って、やっと過不足なく揃えたと思うと、何かが壊れるんだよね...。

 それらを満たした後に、残り少なくなったお足で衣装を探すわけである。
 たいてい、残り少なすぎて何も買えない。


 ある時、ライブの前に空き時間があったので、ふらりとユザワヤに寄った。
 そしてワゴンの中から派手派手しい布地を幾枚か買った。
 何という当てもなくである。
 ただし、衣装には派手な生地が良いかも、とは思った。
 しばらくそれを抱えていたら、友人の中に服を縫うことを生業としている人を見つけた。彼女に託して、好き勝手に要望を告げ、縫ってもらった。
 何と!これがとても良いのよ。
 安い端切れが「お仕立て」した立派な服に見える。
 これはひとえに、縫ってくださる友人の腕の良さに負うのだが、地獄で仏とはこのこと(大げさだねぇ)。
 衣装に関して、大いに気が楽になった。
 何しろ、一点もの。
 今時のブチックなんかでは、なかなか売っていないようなセンスの、個性的な服ができるのだ。 

 そして自分に関して気づいたこと。
 私は古くさい感じの服なら着られるようだ。
 古き良き時代のハリウッド映画みたいな。
 歌う歌も、古い歌、どちらかといえば得意。
 ジュリー・ロンドンなりきりごっこ、大好きである。
 胸が大きく開いていて、ウエストが絞ってあって、スカートが広がってる。
 これ、女の夢ではないですか。
 
 今まで、ドレス着たりするのはものすごく恥ずかしく、ステージ衣装というものに不適応状態だった。
 紅白歌合戦をみていても、ひとごとでも恥ずかしかった。
 だが、時代をずらすとこれが平気な感じがするのである。
 一種の仮装。
 これまで「歌うときは、仕方ない、女装だ」とうそぶいていたのですが、どうしてどうして、時代錯誤しようと思いついたら、なぜだか日に日に女らしくなってくる。
 あらま、一体、どうしたのかしらん...?!。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://tadakyo.web5.jp/mt/mt-tb.cgi/45

コメントする

このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2004年11月22日 12:07に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「恋愛」です。

次のブログ記事は「ライブ報告(Vol.3)11/24『公園通りクラシックス』」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。