軽快に走っていたかと思うと、激しく落ち込む。
躁鬱とまでは言わないが、けっこう長期にわたってブーたれている。
決して外部の状況が変わったわけでなく、もっぱら自分のコンディションのみで、気分が上がったり下がったりする。
鬱になる原因の一つは元来の性格。
これ、遺伝している。
思い返せば両親ともによく愚痴っていた。
人間は本当の逆境になると強がる。
弱みを見せたら踏みつぶされるような気がするからである。
両親は順風満帆だったからこそ愚痴る余裕もあったとは思う。
しかし、顔を会わせればまず愚痴に罵り合い、という習慣は私の発想を後天的にネガティブにしたかも知れない。
「転ばぬ先の杖」症候群とでも言おうか、懸命に努力してよい状態を保っていないと、いずれ「大変なこと」が起こるに違いないと思い込んでしまった。
この習慣から導き出される症状は「強迫神経症」。
若い頃は症状がかなりひどくあった。
この前提があったため、いつもしっかり準備して先に安心の保険をかける、という行為をするようになったらしい。
本を書いたり作ったりするときには、これが大いに役立つ。
あらかじめ書く内容の章立てをして、それに見合った資料や考えを確認すれば、後はひたすら書くだけ。何ヶ月先まででも、制作スケジュールを緻密に作れば安心だ。
行事の采配などもこれに近い。
やるべきことを書き出して時系列で並べておき、終わったらチェックしてゆくだけで輝かしい当日を迎えられるものだ。
「やるべきこと」をイメージ豊かに描き出すこと。
言い換えれば、「段取り」というやつ。
これが好きだし得意だ。
しかし、このところ段取りするのが早すぎて先走る。
あるいは、「こうなるはず」という観測がポジティブすぎるようなのだ。
これはひとえに怠惰のため。
細かいリスクマネジメントが面倒になっている。
だから、たいていの結果が自分の予測よりぬるかったり、しょぼかったりして、あれれれなんてこった、と感じてしまう。
実りの少なさにがっかりして落ち込む。
だがこれ、どう考えても私の勝手なんだわね。
妄想が具現化しないのに苛立つ図々しい中年女性。
これじゃみっともないだろうと思い直して、元気に頑張ろうと思うのだけれど、何だか底知れず空しい。
何やったってどうせ大したことないし...。
「人生に疲れたんだべか?」
と、北海道弁で自分に尋ねてみたりして。
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