クラシック音楽の書籍を書いているため、日々、クラシック音楽漬けである。
あれこれ聴いていると、だんだん特定の作曲家とか演奏家の存在感がクレッシェンドしてくる。
期間限定マイブームみたいなノリ。
今のところ、ブラームスとエルガーがお気に入り。
加えて、シベリウスとプーランク。
今朝、NHKのBSでN響定期を見ようとしたら、何とブラームスのピアノ・コンチェルト第2番だった。
しめしめと思ったが、あまり期待はしなかった。
なぜかこれまでコンサートでも放送でも、ピアノで深く感動することがあまり無く、もしかすると私はピアノと相性が悪いかも、と思っていたからだ。
大きい男の人がガンガン弾くのは嫌い。
神経質そうな女の人がキリキリ弾くのも嫌い。
それが、今日のピアニストは違った。
マルティン・ヘルムヒェンという、まだ24歳のドイツの若者。
まず姿がかっこいい。
若き日のブラームスってこんなだったかも、とか思った。
髪はメンデルスゾーンみたい巻き毛で、柔和で、繊細そう。
その彼が、「えっ、年いくつ?」と確かめたくなるような、抑制の効いた、それでいてしっかり弾き込むところは深い、心地よいブラームスを聴かせてくれたのだ。
私は、ジャズでもポップスでも何でもかんでも、生涯にこれだけは何度も聴く、というアーティストが凄く少ない。
だからいつも、繰り返し聴きたいアーティストを探している。
好きなシンガーやプレイヤーでも、何度も聴きたいアルバムって少ないんですよ。
トホホなくらい。
これは、私の偏狭でしょうか?
クラシックの場合、作曲家とプレイヤーの相性もあるので、出会いを捜すのはさらにめんどい。
モーツァルトのピアノ・コンチェルトならこの人の指揮でこのピアノ!!みたいにどんどん贅沢になって行く。
でも、「あっ、これ好き」というものに出会った時の感激はえもいわれず。
ついつい、人にもご託を垂れたくなってしまう。
(私にご託を垂れてほしい人は、来て下さい)
ブラームスは、色々なことが見えていたのだな、と思う。
「バッハやモーツァルトやベートーヴェンが成してしまったこれだけの仕事の後に、この凡才の俺はどーすりゃいいの。ピアノ上手くたって、多少作曲できたって、彼らに匹敵するほどのものすごい天才じゃないし...。何か意味あるのかナー、この俺が曲書いて。いいのかなー、曲書いて誉められたりして。何か違うよなー、だって俺天才じゃないし...」
と思って生きていた。多分。
さはさりながら、やはり生きていれば何かしないと、ということで、突き詰めまくった先にあったのは、地道ということだった。
「天才じゃないからさ、奇をてらったり、売れ線を狙ったりできないのね、俺はそういうジコチュー性格は嫌いだから。だって、天才じゃないヤツらが、そういうとこだけ天才風に振る舞うの。あーーー、嫌いだ!そういうの」
というわけで、ブラームスはすごく人当たりが悪く、毒舌家で、孤独な人だった。
でも、私はそういう気分がものすごく分かる。
こつこつやるしかないっしょ。
と思う。
本書いても、何の役に立つのだろーか。
ゴミを増やすだけじゃないのか。
さはさりながら、書かねば生きて行けないし。
うた歌っても、何の役に立つのだろーか。
さはさりながら、いいといってくれる人もたまにはいるのだし。
その心で生きていると、地道というものの凄さに目覚めてくる。
取るに足らない人生かも知れないけれど、地道に突き詰めて手を抜かずこつこつやれば、きっと誰かが微笑んでくれる。
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