先日のライブで、ギター加藤崇之氏作のボサノヴァ曲に日本語の歌詞をつけて歌ってみた。
この曲は、美しいメロディーながら、音符の数がもの凄く少ない。
白玉(全音符や2分音符)も多く、言葉を成立させるのが大変。
しかし、あることを思いついた。
歌詞を付けるのではなく「俳句」と思って作れば良いのだ。
これはなかなか良いアイディアだった。
少ない言葉で中身を濃く、という日本伝統の技が素晴しく有効に働くこととなるのだ。
この手法を採ると、スタンダードナンバーの日本語歌詞もいける気がする。
そもそもは、英語の四行詩、ソネットである。
韻を踏みつつ、言葉で遊ぶ。
俳句には、季語を読み込むなどの約束事があるようだが、それはそれとして、作詞するときの気分は俳句、あるいは短歌にて発想してみる。
勉強のため、「俳句王国」というテレビ番組を見たりしている。
どうやら「句会」とは、少ない言葉から想起される景色や雰囲気、詠み人の心持ちについて歓談するもの、言い換えれば、連想を引き起こす言葉の連なりに芸術性を見ては、同席する互いの世界観を照らし合わせて楽しむものらしい。
「季語」については無知だけれど、その程度の縛りを置くところがまた、技を競う上でなら楽しいのかも知れない。
俳句の出来を競う気はないが、その形式は好きだな。
だから、しばし、その心持ちを研鑽して、美しい歌詞などにチャレンジしてみようではないか。
この曲は、美しいメロディーながら、音符の数がもの凄く少ない。
白玉(全音符や2分音符)も多く、言葉を成立させるのが大変。
しかし、あることを思いついた。
歌詞を付けるのではなく「俳句」と思って作れば良いのだ。
これはなかなか良いアイディアだった。
少ない言葉で中身を濃く、という日本伝統の技が素晴しく有効に働くこととなるのだ。
この手法を採ると、スタンダードナンバーの日本語歌詞もいける気がする。
そもそもは、英語の四行詩、ソネットである。
韻を踏みつつ、言葉で遊ぶ。
俳句には、季語を読み込むなどの約束事があるようだが、それはそれとして、作詞するときの気分は俳句、あるいは短歌にて発想してみる。
勉強のため、「俳句王国」というテレビ番組を見たりしている。
どうやら「句会」とは、少ない言葉から想起される景色や雰囲気、詠み人の心持ちについて歓談するもの、言い換えれば、連想を引き起こす言葉の連なりに芸術性を見ては、同席する互いの世界観を照らし合わせて楽しむものらしい。
「季語」については無知だけれど、その程度の縛りを置くところがまた、技を競う上でなら楽しいのかも知れない。
俳句の出来を競う気はないが、その形式は好きだな。
だから、しばし、その心持ちを研鑽して、美しい歌詞などにチャレンジしてみようではないか。
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