肩の力を抜く

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  ボイストレーニングを始めるとき、私は良く「肩の力を抜きましょう」と言う。生徒諸氏の身体の動きを見なくても、目を閉じていたって、発声する人の身体の状態は分かる。

「肩の力を抜きましょう」

 どんな時も、自然体で、身体の中心から外に意識を広げながら、楽にゆったりと立つ。

 私の会社名、「ラルゴLargo」は、そもそもイタリア語で、「幅広くゆったりと」という意味である。音楽の速度標語になる時は、とても遅いテンポの指定に使われる

 ゆったりと自由に幅広く仕事をしよう、そういう意気込みだった。

 それがいつの日からか、発声すること以外の仕事で、やたらと肩に力が入っていた。それらの仕事は多岐にわたるが、肩に力が入ったのは、自分のためではないことをやりすぎた結果だ。

 私の会社は小規模で、大々的に業界に打って出ようという性質の企業ではない。それが、外界からの要請に応え続けているうちに、何だか妙なことになっていた。

 反省すると言うより、世の中をどう捉えるか、それこそが難しいと感じている。世の中をどう理解するのか、そして私はそのうち、どの部分とリンクしたいのか。

 独りで生きているわけではないのだから、周囲の人々の便宜も図らねばならない。それでも、肩に力が入ってしまうほど便宜ばかり図るのはいかがなものか。このところの仕事は、多分どこかで間違っていた。

 人は弱く淋しい。

 だから、周囲の人に喜んでもらいたいと頑張る。

 けれども、そうする人に対して同じように感謝や愛情を返そうとする人は、そう沢山はいない。

 それでも良いから、他人のために、見返りなど求めずに、と頑張る気は、どうやら私には無いようだ。当たり前だけど。

 これからは、自分のテンポで、活き活きと闊達に。

 そして、なるべく無理はせぬように。

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このページは、kyokotadaが2010年9月19日 14:51に書いたブログ記事です。

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