kyokotada: 2005年5月アーカイブ

 お休みいただいてハワイに行って参りました。
 海外旅行は結婚して以来初めて。
 旅券も新たに申請し、25年振りのハワイへ「あろ~は」。
 出かける日の日本は雨模様。
 当然、ハワイに着いたらピーカンの青空だろう、と思っていたら、着いても雨。
 しかも、結構な降りである。
 じつは、同じメンバーで昨年の7月に沖縄を旅した際も、運悪く連日雨。
 土砂降りの中寒さに震える日もあり、どうやらメンバーに雨女か雨男が混じっているのでは、という疑いがもくもくと沸き上がった。

 さて、ハワイの印象。
 何と言っても
「アメリカ人のおデブの多さにびっくり」
 です。
 ホテルでもビーチでも街でも、出会うアメリカ人の半数は異常な肥満体。
 歩けなくなって、両手の杖を頼りという人も多く見受けた。
 それもそうだろう、と感じるのがレストランやファストフードで出される料理。
 その量と総カロリーは日本の3倍平均ですな。
 料理の全てに於いて脂肪分や糖分が多いことは言うまでもなく、何しろ量が多い。
 このような食生活を送っていれば、中年前からどんどん太りだし、臨界点を超えてからはその肥満体を維持するためにさらに食べつづけ、痩身のための運動もままならないという悪循環に陥るのだろうと想像。
 自由に動けないほど太ってしまえば、死ぬまでそのままの体型でいるしかない可能性が大きいということだ。
 ジョニー・デップとディカプリオが出演していた映画『ギルバート・グレイプ』を想い出し、こんなに大量のおデブが増殖しているアメリカって、今や骨の髄まで不健康なんではないか、と心配になった。

 ハワイの観光客はほとんどがアメリカ人か日本人だから、ふたつの文化の違いが際立つ。
 おデブなアメリカ人たちには、気軽にタトゥーを入れている人もとても多い。
 全体的には無邪気で楽しそう。
 プールでは、泳ぐより騒いでいるし、声もでかい。
 日本人はスリムなだけでなく、清潔で大人しい感じ。
 プールでも美しいフォームで整然と泳いでいる。
 でも、若い人のお洒落は極端につきつめられた印象。
 自分のスタイルにこだわり、自意識の固まりみたいになって演技しながら動いているみたいだ。
 もっとナチュラルでゆるい感じの方が良いのにな、と思ってしまった。

 学習が苦手で、快感原則に沿い、自分の外見など気にせずビキニを着たければ着るのがアメリカ人。
 お手本を参考に、理想的な外見を求め、自分の趣味を突き詰めて自己を確立した気になるのが日本人。
 どっちもどっちなんですが、それぞれの国の行き詰まり方が個人の有り様に色濃く出ているところが見逃しがたい。

 美しいビーチや心地よいプールを満喫するよりも、リゾートに行ってまでも人を観察して文化比較などに精を出す自分がビンボ臭いのは承知ですが...。
 つまり私も学習好きな日本人以外の何ものでもない、ということか。

 素晴らしかったのは、パイナップルとココナツベースのカクテル「ピナコラーダ」の美味しさ。
 そして、レストランでもプールサイドでもストリートでも、録音でない、生の演奏が聴けたこと。
 CDだと耳障りなことが多い街の音楽も、生の演奏ならうるさくないのだと再発見。
 みんなの耳と音感とアーティスト支援のために、日本でももっと日常的にミュージシャンを使って欲しい、と切に思った。

 ところで、雨女の件。
 私と美人人妻のSさんが、他のメンバーより一足先に日本に帰った日、成田からのリムジンバスのフロントガラスは、これまた土砂降りの雨にざんぶりと濡れていました。
 カメハメハ大王、雨女はどっちですかーーー!?

頭が春...

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 最近、常識というものが把握できなくなっている。
 気ままだし、勝手だし、適当だし...。
 それが家族にも及んでいて、全員生活振りがはちゃめちゃである。
 はちゃめちゃとは言え、全員、チョー働いている。
 私と娘2人は仕事と家事含め、それぞれ10時間くらいずつは働いているし、息子も学校から帰ってさらに塾で何時間も勉強している。
 つまり、経済や学習面の生活に於いては皆、大変真面目なんであるが、それ以外はどう考えても常識はずれの変人の集まり。


 我が家には、だからほとんど葛藤、ということがない。
 「じつはこうしたいのだけれど、何らかが邪魔していてできない」
 というのが主に葛藤の構成内容なのだが、我が家では邪魔するハードルが他家に比して極端に低いか変種なので、ほとんど無いも同然だ。
 当初から、父親が働いたお金で生活する、という前提がないため、もし、欲求を叶えられない理由がお金や時間だったりすると、全員、自分の稼ぎに照らして潔く諦める術を学んでいる。
 あるいは、葛藤の素が世間の常識などにある場合は、「そんなものは私には関係ない」というアナーキーな母親に、葛藤そのものをバカにされ、終いに無化される。

 嫁に出せない、と思うことがある。
 嫁ぎ先の親戚一同の驚き呆れる顔が目に浮かぶ。
 しかし、この子たちこそ、学校や会社で事が起こったとき、何かと頼りにされる存在なのである。
 うちの子たちは、何かあったときに先生や上司の相談に乗るらしい。
 つまり、変種が危機管理に役立つという見本みたいな話。

 自分の危なさにハラハラする私は、最近、頭の状態が「自由」という特技を商売にしていた人々の有り様に随分近づいてしまったと感じる。
 その芸術性の足元にも及ばないことを承知で挙げさせていただけば、例えば、金子光晴氏とか、宇野千代、高田渡さんもそうでしょうか。

 何にもこだわらなければ良いんです。
 他人の評価とか、実績とか、勝ち負けとか。
 私が大切にしたいのは、私を好いてくれて、私とともに楽しく過ごしてくれる人々だけ。その愛を感じると、難しいことは全部うっちゃって、ヘラヘラ生きていこうと、ぼんやり思うのです。

 誰より常識はずれで無責任な夫のせいで余りに過激に生きたために、そのショックでついに頭が春になり、歌うか書くしか能のない人間になってしまいました。
 これって、感謝すべきか?

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