頭が春...

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 最近、常識というものが把握できなくなっている。
 気ままだし、勝手だし、適当だし...。
 それが家族にも及んでいて、全員生活振りがはちゃめちゃである。
 はちゃめちゃとは言え、全員、チョー働いている。
 私と娘2人は仕事と家事含め、それぞれ10時間くらいずつは働いているし、息子も学校から帰ってさらに塾で何時間も勉強している。
 つまり、経済や学習面の生活に於いては皆、大変真面目なんであるが、それ以外はどう考えても常識はずれの変人の集まり。


 我が家には、だからほとんど葛藤、ということがない。
 「じつはこうしたいのだけれど、何らかが邪魔していてできない」
 というのが主に葛藤の構成内容なのだが、我が家では邪魔するハードルが他家に比して極端に低いか変種なので、ほとんど無いも同然だ。
 当初から、父親が働いたお金で生活する、という前提がないため、もし、欲求を叶えられない理由がお金や時間だったりすると、全員、自分の稼ぎに照らして潔く諦める術を学んでいる。
 あるいは、葛藤の素が世間の常識などにある場合は、「そんなものは私には関係ない」というアナーキーな母親に、葛藤そのものをバカにされ、終いに無化される。

 嫁に出せない、と思うことがある。
 嫁ぎ先の親戚一同の驚き呆れる顔が目に浮かぶ。
 しかし、この子たちこそ、学校や会社で事が起こったとき、何かと頼りにされる存在なのである。
 うちの子たちは、何かあったときに先生や上司の相談に乗るらしい。
 つまり、変種が危機管理に役立つという見本みたいな話。

 自分の危なさにハラハラする私は、最近、頭の状態が「自由」という特技を商売にしていた人々の有り様に随分近づいてしまったと感じる。
 その芸術性の足元にも及ばないことを承知で挙げさせていただけば、例えば、金子光晴氏とか、宇野千代、高田渡さんもそうでしょうか。

 何にもこだわらなければ良いんです。
 他人の評価とか、実績とか、勝ち負けとか。
 私が大切にしたいのは、私を好いてくれて、私とともに楽しく過ごしてくれる人々だけ。その愛を感じると、難しいことは全部うっちゃって、ヘラヘラ生きていこうと、ぼんやり思うのです。

 誰より常識はずれで無責任な夫のせいで余りに過激に生きたために、そのショックでついに頭が春になり、歌うか書くしか能のない人間になってしまいました。
 これって、感謝すべきか?

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このページは、kyokotadaが2005年5月12日 19:10に書いたブログ記事です。

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