kyokotada: 2009年4月アーカイブ

大人とは何か

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とにかくいつも、大人になりたいと思っていた。
時には見当違いの評価として「大人ですねー」と言われることもあるが、なになに、私の基準ではまだ全然ダメ、だったのだ。
それが最近、大人ってこういうことかな、という実感が少しずつ積み重なっている。そうか、大人ってこうか、と頷く気分だ。
大人とは何か。
決して、ひと言で言える類の事柄ではない。というより、大人でない人には、何を語ろうが、通り一遍の訳知り顔としか受け取って貰えない。
それ以前に、大人という在り方が好きかどうかについてすら、人により様々な志向があるだろう。
大人になんかなりたくない、いつまでも少年の心を持ちづけたい、などという向きもありそうだ。
そんなの、私にはバカとしか見えないけれど。

いずれにせよ、私は大人になりたく、それを近年の自分の課題にしていた。

大人とは、自分を尊重することを恥じない人。
ただし、尊重するに値する存在であることを自他共に認めていなくてはならない。この、自他共にというところが大切である。

大人とは、自他の立場や利害について敏感であり、理解力がある人。
自分を含む全体を俯瞰し、自分の立場や力関係を的確に判断し、その上で対処に考えを巡らす。政治を使うのか、情に訴えるのか、距離を置くのか、それとも気づかないふりをするのか。
行動するにあたり、バランス感覚に優れていればさらに良し。

大人とは、自分で居られる人。
事件に驚き、時には取り乱し、怒り、怖れたとしても、また再び、この境地こそ自分である、と落ち着く心に戻れること。

大人とは、死ぬまでは生きている事を知っている人。
人は必ず死ぬのである。だから、死ぬその時までは、この自分として生きる覚悟を持つことである。

ある程度の年齢(今の感触では70歳くらいかな)になったら、大人であるか否かにすらとらわれず、ただ、この先の文明はどのようになって行くのだろうか、という興味だけで生き続けて良いと思う。
毎日のように「ほーーっ」と吃驚しながら。
文明に加速度のつきすぎた21世紀であるため、人間の長生きの価値は、その点に置いてはかなり、ある。

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