kyokotada: 2009年5月アーカイブ

仕事のゆくえ

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 人が仕事をしているのを見たり、読んだりするのが好きである。
先日は、テレビの情熱大陸で、長野県の小学校で金管バンドを指導している音楽教師、桜井睦子さんを見た。

 私が音楽を教える時、最初に考えることは、ひとりひとりの生徒が望むレッスンの内容とレベルのことである。音楽ジャンルは広く、力量や経験のレベルはさらに幅広い。相手の要求がどこにあるかを見つけるのは大切なことだ。カリキュラムに拘らず、こちらの引き出しから、その都度、相手にマッチすると思われるものを探し出し、差し出す。その生徒が何を望んでレッスンに来ているのか、早いうちにそれを掴めないと、あらぬ方向に行ってしまう。

 人によって、音楽を習う目的は様々だ。
 極端には、健康維持という場合もある。ボケ防止や他の生徒仲間とのお付き合いが主眼の場合、あるいは、気晴らし程度に楽しみや趣味として練習する場合、少しでも上手くなりたい、納得いくまでやりたい、長く触れてきた音楽をより深く理解したいという場合...。
 そういうことを探り探り、レッスンの短い時間に、それぞれの想いが満足させられるよう工夫する。

 情熱大陸の桜井先生は、5年生と6年生全員参加を前提に、長時間にわたる厳しい練習を組み立てている。まずもって、全員を参加させるというところが凄い。周囲を納得させるには、先生本人が、同僚や保護者たちから信頼を勝ち取らなくてはならない。
 その努力、前向きで健康な意欲、体力。
 とくに、生徒に対する姿は、音楽の完成度を目指すより以前に、生徒に対する愛情に裏付けられていると感じた。
 音楽に信頼はありながら、それは愛することの手段として、師弟の間に置くべきものだという態度。

 桜井先生は、帰宅してからも生徒たちのために編曲に打ち込む。家の中は音楽と、金管バンドのもので溢れかえっている。
 先生の本棚が映った。
 そこに、私の書いた「クラシックの名曲100」があった。
 私は、はっとした。
 いつも、私の著書を買って下さる方たちのことを空想していた。日本中の書店で、どのような人が購入し、利用して下さっているのか、本当に役立っているのか。
 書き終えて手放したその先は、いつも曖昧として描きがたかった。
 けれども、感心しながら見ていた桜井先生の本棚に、私の著書があったのだ。

 それは、嬉しくもあると共に、襟を正させる出来事だった。どの本も真剣に取り組んでいるつもりだが、さらに、もっと勉強してもっと良いものを書かねばならないと思わされた。
 真剣に仕事をするときに、参考になればと手に取って下さる人が、これからもたくさんにいるに違いないのだから。

 自分の仕事について、思わぬところでその行方の一端を知ることができた。それも、感心しながら観ていた番組の中で。
 この幸運は、大きな励みになる。

音楽を聴く耳

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 良い音楽と感じるものがこの世にあるとしたら、それは絶対的なものか、それとも相対的なものだろうか。
 日本の聴衆は貪欲で、色々な音楽を、それこそ出自由来関係なく吸収してしまう。この狭い国土の中で、地球上で鳴る音楽のほとんど全てが鳴ったかもしれない。アフリカの果ての民族音楽だって、よぼよぼの長老を招いてご披露してしまうお国柄だ。

 たとえば、ゴスペルを歌いたい、という女性の一団があり、宗教の歌であるにも拘わらず、改宗はしないまま宗教的な衣裳まで着込んで「ジーザス、ジーザス」と叫ぶ。由来や意味が分かっていると、尻込みするのだが、そこは知らぬが仏、音楽は国境を越え、信仰をも不問とする。
 多くの人が、自分にはこの音楽が合うはずというものに出会い、触発されて選択する。だから選ぶ音楽とその人となりには、なるほどと頷く共振が見える。

 どんな種類の音楽であっても、良い音楽とさほどでない音楽がある。言い換えれば、聴いていて気分がよい音楽と、逆にイライラする音楽がある。
 演奏技術にかかわらず、ジャンルにも依らず、何だか分からないが、聴いていて気持ちの良い、つまり好感の持てる演奏と、大変上手いと分かり、奏者に理解力のあることも伝わるのに、いつしかイライラしてくる音楽がある。

 それは一体なぜなのだろう。

 私の大好きな演奏家たちを地元に呼び、近場で一流の音楽を聴いていただきたいという願いを込めたライブを催す。
 たいていのお客様は、私との付き合いで来てくださるのだ。
 そして、後日、何かのテレビ番組でそれらの人々が演奏している姿を見て驚く。テレビに出るような人たちだったのだ、と分かり、その人と至近距離にいたということに感動する。つまり、人の耳は、演奏家に対する付加価値なしに判断できるほど発達してはいない。

 しかし、テレビやレコード・CDの無かった時代はどうだったのだろう。演奏のその場でしか音楽に触れることが叶わなかった時代には、人の耳や音楽を聴く心は、もっともっと敏感だったのではなかろうか。そこで演奏する音楽家の姿、息づかい、表情をともに、音に溶け込ませて感じたに違いない。

 私たちは、歩きながらでも音楽を聴くことが可能な世界に生きている。だが、ひとりの演奏家を深く聴く術を持とうという意欲には、著しく欠けたかも知れない。いつでもどこかに行けば誰かの演奏を聴くことが出来る。選べば、世界中の演奏を間近に観ることもできる。この、「その気になればなんでもできる」という実体のない全能感が、その都度、向かい方を鈍らせる。つい、一期一会でなくなるのだ。

 私の生まれた人口2万人足らずの町には、ホールなんて無かった。ただ、商工会議所の会議室があるだけだ。小学生の時、そこで、北海道大学の民謡研究会の夏休み巡業を観た。歌い踊る学生のパフォーマンスの威力にやられ、何日も興奮が冷めなかった。

 イタリアの山岳地帯で羊飼いをしていた少年が、何ヶ月ぶりに実家に戻る山道で、偶然出会った旅芸人の音楽を聴く。生まれて初めて音楽を聴いた少年は、半狂乱になる。私は、その様子を空想し、その衝撃を想う。
 羊飼いの文盲の少年は、この時、自分の家族の外にも世界があることを知り、学問して学者となり、自分の生い立ちを一冊の本に書いた。「父パードロ・パドローネ」。後に、タビアーニ兄弟が監督して映画となったこの物語で、私は改めて、音楽の力の偉大さを知るのだ。
 「ゆりかもめ」というモノレールのように高架を走る乗り物が、臨海副都心を走っている。5月17日(日曜日)の早朝、私は、新橋から乗って、有明、お台場を通り国際展示場正門、という駅で降りた。
 前日から雨模様。その上その日は風まで強く、逆三角形を空中高く持ち上げた巨大な建物は、凧のように舞い上がりそうだ。
 その日、ここで、第29回目の「デザインフェスタ」が開催され、それに我が事務所も参戦しようというのである。参戦といってもコンペではないので、闘いはなく、ただ自分(たち)はアートの表現活動をしていると表明するために、そこに出展するわけだ。ホームページで見たら、8500人以上のアーティストが参加した、となっていた。
 このイベント、発足当初は、美大や専門学校の学生や卒業生が、「いいのか?」というぐらいとんがった企画を展開していたらしい。そこで見いだされてデザイナーやクリエイターとして一本立ちする人も多いという。今でもそれは変わらないのかも知れない。けれども、イベントに対する参加者の予定調和的な慣れ感は否めない、とは、参加経験者、デザイナー鴨下の言。
 私にとって、デザインフェスタは初めての経験だ。鴨下と、ウエダさん、作り物の協力者おりえちゃん、イラストレーター小宮君他に頼り切り、しかし、作り物のアイディアは色々出してちょこっと制作しつつ当日に臨んだ。
 広い会場で15分以上うろうろ迷い、やっと我が事務所のブースに辿り着く。広大な会場全体にびっしり組まれたブース。展示には小物あり、イラストあり、バッグあり、映像や、インテリア、音楽、パフォーマンス、いずれも「若い」。
 何にせよ、経験してみないと空気感も、なにがフィットし、そこでは何が前衛とされ、それにしてもどこまでが許されるのか、皆目分からない。ブースにしても、区画と大きさの感覚が掴めない。何より、場所のもつ「気」が、まずもって知り得ない。
 こういう場合、私はじっとして、経験ある方々に任せるのが良い。準備の間は斯様に空想めいた期間となった。

 さて当日、一日立ちづめで、色々なものを売ったり紹介したりして、これはつくづく若い人のためのイベントだと感じた。年齢は、表現欲求の質を変える。自分の表現世界を俯瞰し客観的に判断し始める。

 しかし、その後、パリコレの模様をテレビで見ながら膝を打った。
 私は今までファッションショーの意義について、全く分かっていなかったと気づいた。前衛的なもの、やたらと高価なもの、それらがいったい何のために大金を費やしたイベントで公開されねばならないのか。私にはよく分かっていなかったのだ。何しろ衣服というものは、健康や実用に即していなくてはならない。お洒落は、虚栄や儀式の範囲だ、と考えていたフシもある。
 従って、衣服をあのように扱う服飾業界の必要性について、正しい理解が出来なかったというわけだ。
 ところが、デザインフェスタで多様な表現への熱意を見た後、いつものようにぼーっとテレビを見ていた私に、そのアイディアが閃いたのだ。
 デザイナーは、自分の思い描く最高の美を、あるいは服飾という思想の前衛をその場で表現しようとしていることに。実用性や価格については不問のまま、持てる限りのアイディアと資本を注ぎ込んで、ショーで美意識の具現を問うている。それが、服飾に限らない美の世界観に於ける牽引役となっていることに突然気づいた。

   例えば、ディオールなどは歴史に裏付けられた蓄積、人材、顧客、財源のいずれに於いてもトップのブランドで、その華麗さはそれらの資源に裏付けられている。音楽で言えば、マドンナやセリーヌ・ディオンの公演のようなもの。
 そのように、ショーをライブ・パフォーマンスと引き比べると、ブランドやデザイナーの目指すものが理解しやすくなる。
 貴族や女優、セレブリティはそれらの高価すぎる衣服を買い取って、ブランドを成立させ続ける責務を負う人々なのだとも思えた。

   音楽の世界に於いて、ジャズはポピュラー音楽全体の牽引役として存在する。ジャズというジャンルの中には、トラディショナルなものから前衛的なものまで数限りないスタイルがあるが、それぞれがプレイヤーのやむにやまれぬ表現欲求に基づいて選択されるのだ。
 デザインも同様。
 専門外から見ると、固有名詞としては知らなくても、現存するスタイルの多様性を産み出した、あるいはその根拠となった一大エポックがいくつもあるらしいことが推量されてくる。
 そう思って、絵画、彫刻、建築などを辿るとこれまた興味深い。
 いわば、歴史的時間に依拠する縦軸。
 さらに、それとは別の横軸、つまり地平的な広がりとして、ワールドワイドな表現の多様性に対する知見という側面もある。

 いずれにしても、表現はひとつの思想である。その思想に好奇心を抱き、収集したり、アナライズする熱意があれば、この時代に生まれたことを存分に楽しめるのではないか。

「なんで、デザインフェスタなんですかぁ」とスタッフに不思議そうに訊かれた時、「何でも良いんです。出ると言ったら出るんです」
 と何の根拠もなく、勘だけで答えていた私は、実にすごく勘が良かったな、と今となって思うのである。
 家の食卓の一角に、読みかけの本が積み重なる場所がある。
最近、「本を読まねば」とやっと気がついたらしい息子が、積み上がった5冊ばかりを指さして「一度にそんなに読んでるのか」と呆れた風である。
 改めてのぞき見ると、ゾーヴァの絵本、島田雅彦著の小説の書き方、宮台の社会分析新書、営業マン向け実用書、料理の本など雑多に積み上がっている。

 息子は、「宮台は自分の学校の先生である、たびたび勉強系サークルが講演会などを行う」と言ってやや嬉しそうであった。
 母親がどのような読書をし、それによって何を考え、学んでいるかと探るのは子どもにとってどんな感じなのだろうか。
 私の母は、女性週刊誌しか読まない人であったため、彼女の精神性について予測するのは大変に困難だった。いわば、根拠がないのであった。場当たり、感覚的、不連続。つまりアナーキストである。

 では、私は何に依って立っているだろうか。
 青春期は芸術至上主義であった。
 その後、女性学や精神医学をやり人類学をかじり、子育ての実践の中で人間という生物の自然について考察し、だが、人間の牡についてはひどく勘違いをしたまま現在に至る。

 仕事面では、雑学の塊になる他ないライター仕事の中で、結局最も好きな音楽分野に的を絞り、中でも音楽史に足場を作っている。
 自分がプレイヤーでもあることを活かして、これからは、ボイストレーニングの方法論の視覚化、楽譜、録音などによる音楽の記録方法について新しく発案などをしたいと思っている。

   さて、そのような仕事をしている私の仕事場は乱雑である。
 日々、長時間仕事場におり、さらにそこからライブに出かけることもあるので、そのための衣裳や着替えが置いてある。姿見に化粧道具、アクセサリー。

 書き仕事用に、書籍、楽譜、プリントアウトした紙資料、および音源関係がどっさり。CDコンポ、パソコン、プリンター、電話機、ギター、なぜか置かれている夫のコントラバス2台、アレンジや楽譜を書くのに必要なヤマハのグランド型エレピCPとアンプ、借りている二胡、こわれたヴァイオリン...という具合である。

 仕事机は、食卓テーブル2台を並べたものだが、その上もまた、この上なく散らかっている。本の山、資料の山、筆記具、名刺入れ、写真立て、化粧品に薬品、さまざまなリモコン類など。
 いつも「片付けなくては」と強迫的に思い、いくらか片付けるのだが、数日経つとさらに乱雑ぶりが増す。

 仕事部屋が乱雑になるのは、仕事に対処しているから、と思う他ない。あれこれの資料を出して、読み、聴きしながらまた色々発案するのである。

 資料というものは不思議なもので、「長いこと取っておいたが、さすがにもういい加減要らないだろう」と決意して捨てると間もなく、必ずと言っていいほど「あれさえ取ってあれば」という事態が起こったりするものである。
 それがあることが気になるので捨てるのだが、実は捨てようかなと考えるのが予感なのかも。

 何にしても、仕事部屋は乱雑である。
 何とかしたいが、昨日テレビで見た女性の学者の研究室も乱雑であったので、もうこれで良いと思うことにする。
 自然発生的に乱雑が形成され、それが一定のエントロピーで居住性と活気を与えているのである。
 だからこれでいいのだ。
 と、思うことにした!!

西東京音楽祭

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 昨年から地元で音楽祭を始めた。
地元、西東京市は、音楽の活動が今ひとつよく見えない場所だ。
クラシックもポピュラーも、プロとして活動する人が多く住んでいるようなのだが、これといった活動の中心、拠点がない。

 スタジオをオープンして間もない頃のある日、もとレコード会社勤務という2人の男性が現れて、「音楽祭をやりたい」と仰るのであった。
 ひとりは、ソニー・レコードのアーティストからプロデューサーになった木村氏、そしてもうひとりはBMGジャパンの営業職から突然、西東京市会議員になった佐藤氏である。
 両氏とも、プロの世界で生きてきただけあって、音楽祭というと既存のフェスのようなものという固定観念がありそうにお見受けした。つまり、事業的な音楽祭である。
 しかし、それは私たちの手には負えないだろう、と思えた。
 さまざまな形で繰り広げられるジャズ・ストリートなどは、場所を変えても同じ顔ぶれのミュージシャンが、仕事として演奏するのを聴く、という形式。普段のジャズのライブ・ハウスでの演奏が、その日だけ一カ所に集まった、あるいは場所を変えた、というだけのものも多い。
 あるいは、ある程度の知名度を持つアーティストが何組かブッキングされて、広い会場で「フェス」と銘打たれたイベントをやる。
 いずれにしても、地元民はプロの演奏を見る、聴くのみの参加となる。
 それはちょっと違うかも、と思った。

   しかし、よく話をするうち、このお2人の願望は商業主義、つまり儲け事業という目的からは遠い、もっぱら地域の人々と触れ合いたい、純粋に、この地域の音楽活動を盛り上げたいというものであることが分かってきた。
 ならば一緒にできるかも知れない。
 音楽を愛するたくさんの人々と連携するイベントを。

 内容について、そしてシステムについて、考え抜いて立ち上がったのが「西東京音楽祭」である。市の名前を冠とする音楽祭が、まだ無いのを良いことに先手必勝で唾をつけてしまった。

 出演は公募。参加費は安く。主催側ができることは手間を惜しまずやる。出演者に楽しんでいただく。見る人々にも喜んでいただく。
 これが底辺を流れるポリシーである。

 それにしても、この内容では協賛を募らないと足が出てしまう。どうしたものかと思っていたとき、大塚製薬の広告を担当されていた電通OBの方が、声をかけて下さった。お陰で、大口のスポンサーを得ることができた。パンフレットの裏表紙一面に「ポカリスエット」の広告が載り、出演者に現物支給もできた。
そして地元のたくさんの企業、業者の皆様が、見も知らない私たちの、それこそ雲を掴むような話に頷いて、協賛して下さった。何と有り難い。

 このような成り行きで、出演40組に対し、70組以上の応募を頂き、新生の音楽祭がスタートしたのだ。
 以下は、昨年とほとんど同じ内容の、今年、第2回目のパンフレットの挨拶文である。実行委員4人という、少ない人数で良くやっていると自画自賛。来年も無事に開催できることを願っている。

 第2回「西東京音楽祭」開催に向けて

 それは見切り発車から始まった!

 今から2年前のある日、木村聡志は音楽関係の仕事をしている(た)人々を誘ってこう言った。「私は、この町でどうしても音楽祭をやりたいのだ」。集められたのは中年数人であったが、返事は「いいよ!」であった。その日からゆるい議論が続けられ、とりあえず会場だけは押さえようと決まった。勇み足で会場を押さえた日から、全員、もう逃げられないと覚悟。お金など全く無いにもかかわらず、信用金庫に口座まで作り、実行委員会を立ち上げたのだった。始めは「応募してくれるバンドが少なかったら自分たちが出ようね」、「協賛なんか取れそうもないから持ち出し覚悟だね」の無謀すぎる船出だった。

 あらびっくり、何と、異常な盛り上がりが、「第2回目」の今年もまた!!

その後は、皆様がご存じのとおり。告知チラシをバラ撒き、協賛集めに歩き回り、市の後援をお願いし、と、まさに死闘の連続。中年たちは個々、本業も大変に忙しいため、倒れそうになりながらも頑張った。お陰様で第1回目は予想を遙かに超える大盛況。なんかイケそうじゃん、と調子に乗って第2回目、堂々開催致します!!
 今年もたくさんの皆様からご後援、ご協賛を頂きました。世界不況の真っ只中にもかかわらず、なんと広告が増えております(涙・涙)。
 皆さんありがとう。またしても感謝、感涙が止まりません。
 今日は、みんな爆発して下さい!
 そして、来年、再来年へと音楽祭を盛り上げて下さい!!
 第2回目も、何が何でも、絶対に成功させようねっ!!!
 できれば「西東京音楽祭」を100年続けるんだ~~!!!
 毎日、新しいことに出会う。
 テレビでもネットでも、今まで全然知らなかったアートや音楽に出会う。今まで生きてきて、大変にたくさんのものを見て聴いてきたつもりだけれど、今更ながら、世の中はとてつもなく広いのである。

 毎日、人は生まれ、そして世界中で音楽もアートも生まれ続ける。
 日本国内ですら、最近初めて知った出版社がある。素晴らしい書籍の量に驚く以上に、そこの出版物を利用する業界では誰でも知っている有名な会社だった事にさらに驚いた。なんで今まで知らなかったの。
 それはPIE BOOKSのこと。

 そのように世界は広い。
 本当に果てしなく。
 ひとりの人間がどんなに頑張っても、好きなジャンルですら、全部を見ることはできない。だから、多くをカヴァーしようとすると、不全感と不安感にさいなまれて、たまらなくなる。
 適当にしなくては。

 いつも自分を中央に置いて、周囲を見渡し、これは好き、これは大事、これは嫌い、これは要らない...と果てしない選別作業をしている。
 それなのに好きなものや感心するものは、そんなに多くない。
 こちらの感受性が鈍いのか、世の中には傑作は少ないのか。

 仲良しのカレー屋さんに行ったとき、そこで当時働いていたデザイナーのヒロシ君が自分の趣味で並べてあった絵本があった。カレーを待つ間に読んだ「小さな小さな王様」という一冊に感動した。
 どこかで手に入れたいと思っていたら、この連休に銀座の松屋でその画家、ミヒャエル・ゾーヴァさんの原画展をやるというので、わぉ!と叫んで休みを取った。

 また、休みの日にぼーっとテレビをみていたら、フランスには、蒼山日菜さんという、切り絵のすごい作家がいると知った。
 その方の作品は、繊細すぎて私には痛い感じが強いが、でも、デザインも技術も精神性も、本当に素晴らしい。

 毎日、色々なアートに出会う。
 そして、私はピアノの練習を始めた。ジャズ・コードを身につけたいと思っているのだ。とりつきは最悪で、まさに遅々として進まないが、時間を経るにつれ、少しずつシナプスがそれ用にできあがりつつある気配はある。

 そのように、世界は広く、作品に満ちていて、私にはまだまだいくらでも冒険の先がある。
 未知が多いと気づくのは、幸福なことである。
 そして、冒険に出かけようと思い立つのは、喜ばしい日である。

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