Jazz...というもの

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音楽には様々なジャンルがある。
音楽を仕事にすると、ほとんどの場合、どのようなジャンルを専門にするかを問われることになっている。
私の場合、軽薄に広すぎて恥ずかしいのだが...。
自分が歌う場合はジャズが主で、企画によってはR&B、カンツォーネやシャンソン、J-pop、歌謡曲までトライするし、さらに教える場合にはゴスペルから演歌まで、ジャンル問わずなんでもあり。
ライターとしては、クラシック、オペラの解説が主となる。
全く成り行きでこうなっている。
それに従って、毎日毎日、音楽と呼ばれる事柄のありとあらゆる側面に触れ、時に探求し、練習し、分析したり理解したりしているつもり。

その幅広いジャンルの中で、なぜとくにジャズにひかれるのだろうか。

ジャズは、演奏しているとき、瞬間ごとに互いがコミュニケーションできる。
バンドのみんなと出会い、はじめに握手して「よろしく」と言い、それから音を出すと、ひとりひとりの中から、異なったリズム感や音に対する感性が溢れ出てくる。
「ほーー、そうかい」と受け取ったことを膨らませ、それに反応して、次はこちらが歌いたいように歌う。
歌いたいようにとは、声の音色、タイミング、強弱、表情のこと。
すると、それを聴いたメンバーはさらにイマジネーションを膨らませ、色々に反応してくれる。ジャズは、その場でそこにいるメンバーが創り出す即興性が大事。いつも同じ演奏をしたい人は、ジャズは止めた方が良い。

しばしば一緒に演奏しているミュージシャンでも、メンバーとしてひとりでも別の人が混じると、途端に演奏が変わる。その面白さ。
即興は、どこまで自由になっても、羽目を外してもいい。
ちゃんと基本の場所に帰ってこられるなら、遠くまで飛んでいっても全く構わないのだ。
どれだけ自由になれるか。
どこまで自分らしくいられるか。
1曲の中で連想を大きく展開できるか...。
それが醍醐味。

色々なジャンルの曲を歌ってみて、そういう意味で一番スリリングで、毎日違う気持ちで歌えるのがジャズなのだ。
ジャズで演奏するのは、主にスタンダードと呼ばれる曲。
スタンダードというのは誰でも知っている曲、言い換えればエバーグリーン、つまり、長く生き残って廃れない曲のこと。
1920年頃から60年頃までの間に、ミュージカルや映画のために作曲されたり、フォークソング、カントリー、ブルースなどにルーツをもつ数多の曲の中から、際立つ個性、メロディの美しさ、コード進行の機能性で支持され、歌い継がれ、演奏され続けてきた曲が多い。
歌ってみると、確かに、楽曲独自の力が強いと分かる。
たくさんの歌手やミュージシャンが取り上げる曲は、骨太でいて柔軟だ。

ジャズに馴染まない人にとっては、長い演奏中、いったい何をやっているか分からない、という点が困ったこと。
とくに、ビー・バップから後、モダン・ジャズの方法になると、即興について理解するのは難しい。
ジャズのできはじめの、ディキシーランド・ジャズやスゥイング・ジャズは、メロディが聴きとれるので分かりやすくて、誰にも馴染みやすい。
だが、演奏する側にとってはもう少し進歩させたモダン・ジャズやモードの方法が断然面白いのだ。

ジャズを聴くとき、私は曲ではなく、演奏する人そのものを聴いている。
ある1曲をどのように弾くのかを聞いている。
それから、その曲をどう展開するかを聴いている。
どんな風にイマジネーションを広げて行くかを聴いている。
そして、どうやって自由になって行くのかを聴いている。
自由の中味は、斬新な解釈やアイディア、感情のうねりとその幅の広さ、それを音楽で表現する技量、時には人柄、理想、美意識...。

1曲が15分とか20分と、他の音楽に較べるととても長いとしても、その時間の中で音楽と演奏家が鮮やかに変化する様を見て、聴いていると、全然飽きない。
飽きないどころか楽しくて、時間を忘れる。
ちょうど、面白い小説に没頭して、周囲の音も聞こえなくなっているときのような、快感と集中の中にいることができる。

オペラ同様、ジャズもメロデイを追うことよりは、音の快感に浸るのが目的。
つまり私の聴き方はいつも快感原則に従うということかも。

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このページは、kyokotadaが2004年5月26日 11:49に書いたブログ記事です。

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