父の形見の腕時計は、不思議な時計だ。
オメガの古い型で、日付が付いている。
文字盤が大きいので、出かけるときに時々する。
その時計の不思議な点は、時に大きく遅れることだ。
数分だけ遅れる日がある。
それは、どの時計にもありがちだから、修正しないで放っておくこともある。
ところが、日によって30分も遅れる。
毎日、仕事机の上に置いて気がつけばネジを巻いているはずなのに。
前日も、しっかりネジを巻いたはずなのに、数10分遅れるなんて?
その日は、必要以上に忙しくして、我を忘れそうになっていた。
テンションが下がらなくて、それでも欲張って、一日中イライラくるくる回しすぎ。
父がどこかで「もっとゆっくり、丁寧にしろや」と呆れている気がする。
お金のために、意に添わない本を書いたとき、一読してこう言った。
「たまには休みに帰ってこい」
休まない私が帰らない間に、父は死んだ。
形見の時計は、私を叱る。
「欲張るな、ほどほどでいい」
しんどい毎日の中で、立ち止まり、私は時々ゆっくり泣くことにしている。
だって、時計が遅れるから。
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