発声法というものがある。
理論ではない、と思う、多分。
歌はもちろん、演劇とか、アナウンスとか、朗読とか。
つまりは、他人が聴いたときに「うーん、いい声だね」。
と感心するような声の出し方のことである。
「いい声」は以下のように表現される。
きれいな声、心地よい声、魅力的な声。
これは声に対する印象。
同じことを技術の面から考えれば、
強い声、響く声、広がりのある声、タフな声。
ということになるだろうか。
そしてさらに
透明な声、深みのある声、ドスのきいた声、セクシーな声など
声を出す人の個性にまで広がってゆく。
性格や個性同様、声も百人百様だ。
圧倒的に押しつけがましい声から、かそけく守ってあげたいと思わせる声まで。
だが、元々がどんな声でも、必要なフィジカルを鍛えれば、
「うーーん、いい声」と言ってもらえる声になる。
これは本当。
楽そうに発声できるということはじつは、
基本的な技術が整っているということなんである。
体操選手や曲芸師は身が軽く見える。
野球やサッカーの選手にはボールが友だちのように見える。
軽々と動いてみせるためには、反射神経や筋力が不可欠だし、
実戦経験によって練り上げられたセンスも必要になる。
声で言えば、腹筋や整体のコントロールはスポーツにおける基礎体力、
イントネーション、滑舌などはボールコントロールの技術、
感情表現、パフォーマンス能力は試合センスということになるだろうか。
日本人は、海外の歌手のように声が出せない、
長年その神話が信じられてきた。
骨格や声帯、言語が違うから、というのがその理由だった。
しかし、近年では、クラシックを始め様々な分野で世界に通用する歌手が出始めた。
頻繁に良い発声の歌手を聴いていると、その憧れの声を真似するうちに
似たようなことができるようになるものだ。
願えば叶う。
イメージの力もある。
声にはお国柄がある。
中国の女性アナウンサーは甲高いが、CNNの女性キャスターは低音。
つまり国によって、どの高さ、または質が魅力的であるかの尺度は異なる。
日本人は声が小さく、女性なら細く高く作った声が魅力とされ、
さらにでかい口を開けるのは下品とされていた。
家が狭いので、みんな近づいて過ごすため、ぼそぼそ喋っても聞こえる。
石造りのでかい西欧の家では、互いの距離が遠く、
大きい声で喋らなくてはならない上、石の壁は残響があるので良く響く。
そんな文化的な価値観の差が声には大きく影響する。
日本人、特に女性の中には、大きな声を出したことすらない、
という人が大勢いる。
かつて大声は、はしたないものだった。
だが、声を出すのは楽しい。
1時間歌えば、頭はすっかり興奮する。
夜間にコーラスの練習をするグループは、眠れなくなる、とぼやいている。
気分が高揚する。
スポーツと同じようにすっきり爽快になる。
いい声になりたいね。
どうすればなれるかというと、
私のボイストレーニング法を習えばいいのです。
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