私の父は変わった人で、超人に憧れていた。
茶の間の話題がチベットの「第三の目」だったという人はあまりいないかも。
父は、大正15年生まれだから終戦の年は20歳。
東京で歯科大の学生だった。
父によると、
「戦時中はネズミのように勘が働いた。引っ越す度に後にした場所が空襲で焼けた」
のだそうだ。
「人間は火事場の馬鹿力といって、切羽詰まると意外な力を発揮する」
とも言っていた。
子どもの頃から、時々断食をしたり、速読の練習をしたりしていたらしい。
1枚の絵を見て瞬時に頭脳に焼き付け、目を閉じて引き寄せ細部を見る練習、なんという、変わった訓練もしていたらしい。
まあ、ユニークな人である。
職業は歯科医で、鉄筋のでかい家を建てて何人も人を使って診療していた。
父の父、つまり私の祖父は、やはり歯科医だったが博打好きだった。
ために、父が戦後家を継いだときは首を吊りたくなるほどの借金だったというが、戦後のインフレと高度経済成長のお陰で無事返済し、その勢いで働いたので金持ちになった。
でかい自宅の茶の間で、様々な洋酒を傾けながら、父は超能力の話をした。
トランプを使って、透視能力の開発なんて遊びもした。
暗記の訓練などもした。
スパイ養成学校のようだ。
父が愛したものはこの他に芸術。
書を嗜み、アコーディオンを演奏し、油絵を描いた。
スポーツも好き。
ゴルフバッグもボーリングのマイシューズもビリヤードのキューまでもっていた。
社交ダンスがプロ並みにうまかった。
良く本を読んでいて雑学に長じていた。
歯科医師会はもちろんライオンズクラブとかボーイスカウトとか、青年会議所、若い医者の集まり、東京の歯医者の集まり、同期会、地元の同窓生、とやたらにつきあいが広かった。
何だかよく目立つひと。
華やかで、情に脆く、居住まいのきれいな人だった。
話逸れすぎ...。
とにかく、父は超能力を信じていた。
その影響かどうか、私と弟は一時、瞑想や印度に凝った。
お香を焚き、ブライアン・イーノとかを流してじっと坐るのである。
もっとも70年代は、世の中も神秘主義がブームだったのだ。
目をつぶって坐るのが趣味みたいな友だちがわんさか出現した。
けれども、私には瞑想する才能がなかった。
すぐ寝てしまう。
あるいはアイディアがわくのでメモに走る。
要するに俗物。
今でも、瞑想は苦手だ。
ただし、焦点の合わない目でぼーーっと考え事をしていることは多い。
そんな時は子どもたちに話しかけられても気づかないくらい集中している。
瞑想というより、考えているわけだ。
それが私に合っている。
しかし、眠る前にときどき、意図しない図柄が脳裏に浮かぶことがある。
細長い象が万里の長城を歩いているとか、変な顔の猿とか......。
その奇妙さは、「何で私こんなモノ思いつけるの」
とびっくりするほどである。
丁寧に思い起こせば、映画の場面のフェイクだったりするのだろうが、意図しないのにぞろぞろ変な絵柄が出現するとその仕組みが知りたくなる。
脳味噌って気づかないうちに色々なモノが詰まっているのだ、と知る。
いや、もしかすると脳は寝るときに裏返って宇宙と繋がるのか。
夢は宇宙の思考だったりして。
中沢新一氏の「神の発明」という本を読んでいたら、内部視覚というものがあり、洞窟などの暗闇でじっとしていたり目を閉じて瞑想していると額の辺り、つまり「第三の目」からまばゆい光の世界が開く、とあった。
そこに至る以前にも色々なモノが見えるらしい。
禅でいう「魔境」ってやつかな。
それらはたぶん、私が眠る前にかいま見るものより数段ゴージャスなのに違いないが、真っ暗闇で突然キンキラの光に包まれて
「これは一体何なんだ」
と驚いた人間が、神を発明したのではないか、というのですね。
なるほど。
八百万の神、ギリシャ神話の神のように人にアクセスする存在ではなく、手も触れられない絶対的なもの、超越的なものを想定したのは、人間の中に生まれ出る不思議な視覚イメージだった、という仮説。
科学的には、人間は五感に対する刺激を遮断されると、生命エネルギーが内部にせき止められる。
これが、行き場を失って幻聴幻覚となる、らしい。
薬物でも、同様の効果(?)が得られるともいう。
でも、人間って謎だらけだからね。
宇宙って何?
ここはなんで地球なの。
私はなんで人間なの。
そう考え出すと、背筋がぞ~っ。
はたして、脳味噌の中に神はいる?
それとも、存在自体を裏返すことができれば、一人一人が宇宙に放り出されるってことでしょうか。
せっせと座禅瞑想や荒行に励んでいる男性たちは、その果てに神を見たいのか。
あるいは、それによって宇宙を垣間見たり覚醒することを求めているのでしょうか。
でも、それやって楽しいのか?
俗物の私には、とんと分からないことである。
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