歌手なので、ミュージシャンや歌を趣味とする人々とのつきあいが多くなる。
いわゆる、芸術家肌の人とかアーティスティックな人々。
時々ピアノ伴奏をしてくれる友人、今井由美子女史は、歌手の人となりについて、幅広い知見をお持ちである。
私が何かすると、
「ふふーん、歌手らしいね」
あるいは
「えっ、それって歌手らしくない」
などという評価の仕方をする。
彼女のいわんとするところを私なりに整理すれば、歌手とは、不器用、目立ちたがり屋、自己中心的、直情的、派手、などの要素をもつ人らしい。
由美子さんたら、私に対して「そういう人であれ!」と言外に要求している気がする。
はは、その手には乗るか。
ちなみに私は、歌手の他に講師やら著述業やらをしている。
従って、それらの要素を丸出しにしてはとてもやって行けない(と思い込んでいる)。
いわゆる、事務的能力、客観性、協調性なども要求される(でしょ?)。
だが心の底で、私の実態は、由美子女史の人物評価、あるいは性格分析にある歌手体質以外の何ものでもない(とほほ)と感じないでもない(まだ抵抗)。
多分、自覚があり、その性格でははた迷惑だと知っている。
だから無理をしている。
無理とは、私なりの「鋼鉄の抑制下」に自分を置こうとすることである。
歌手的性格の逆、器用で、控え目、他人を思い遣り、冷静で、謙虚でありたい。
しかし、なんですね。
意識的な抑制というものは、大方の場合、使いどころを間違うものなんですね。
人間はそれほど意志が強くない。
自分に対する客観性もない。
悲しいかな、抑制を正しく使っていると信じているのは本人だけ。
実態は、大はずれ、的はずれ、とんちんかん、要らぬ堪忍...かも。
なのに当人は相当無理しているから、被害妄想をも患う結果に陥ったりして...。
はい。
じつは、私はわりと被害妄想型なんです。
心配性で、怖がりなんです。
他人様の気持ちばっかり尊重して生きてきました(つもり)。
しかし、もうすぐ50歳にならんという近頃、これが癪にさわってきた。
こんなまんま死んでたまるか、って感じ。
だいたい、歌手に復帰したのだし。
これからは言いたいことを言おう、感情のままに動こう、と決心しました。
感情に素直に、でも、言葉遣いだけは気をつけて言うつもりだったんですが...。
予想以上に色々な方面でトラブっています。
でも、石の上にも3年です。
私の価値基準からすると実にひどいことを言い募り、し続けている方々が、のうのうと生き延びているこの世間(と私には見える)。
私ごときが感情の嵐を小出しにしたって罰は当たるまい。
えっ、小出しにした方が風速が強い?
掃除機の出口が小さいヤツみたいに?
ならば、嵐吹き荒れろーーー!!
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