あの人は良い人だ、とかイヤなヤツだ、とか、会話の中身のほとんどは他人に対する評価や感想のようなものだったりする。
たいていの場合、あらゆる物事に関して、好きか嫌いかばっかり言っている。
世の中の価値基準は、自分の好き嫌いに従うべき、という世界観。
さらに、好き嫌いの根拠として、様々な理由をあげたりもする。
しかしそんなもの、聞いている側からすると、ただの後づけ、こじつけだろうな。
だって、好き嫌いに理由なんてないでしょ。
理由をつけられるのは、自分にとってその人や物が有益であるかそうではないかについてだけではなかろうか。
素直すぎる好き嫌い人間による、
「あの人は嫌いだ!」
という熱弁に対して
「いやあ、あなたはそうおっしゃるけれど、あの人にも良いところはあるんだよ」
と、諭し始める人もいる。
「どんなひどい人でも、悪いところばかりではない。深く付き合えば、愛すべき部分も持っているものだ」
そういう人に優しそうな話なのだがね。
それ、実はそう思っている方がラクなだけじゃないのか。
誰かを嫌っている自分って、居心地悪いものだからね。
人を嫌悪することを躊躇うと、世の中は意外にややこしいことになる。
人生相談で
「アル中、博打好き、女好きで借金を作るひどい夫」
というものに対して
「でも、お子さんは可愛がるんでしょう」
などと答えるバカがいるが、そういう手合い。
お子さんを可愛がるからって、家族が暮らせるのか、と思う。
良い人と悪い人という分け方と、好きな人と嫌いな人とは、別のことだ。
人がなぜ悩むかと言えば、
「好きなのに、どうしようもない人らしい」
と気づくからだ。
好きだから、自分のために良くあって欲しいとか、変わって欲しいと願う。
それが果たされないから傷つくし、悩むんではないか。
好きでなかったら、相手に対して何かを願ったり望んだりしない。
好きでなくなると、相手との関係に於いて挫折も絶望もしなくなる。
あとはただ離れるだけ。
「いやあ、あの人にも良いところはあるんだよ」
という発言には、愛が感じられない。
感じるのは優位性と、保身だけ。
バカと感じる人に対しては怒りながら、
「あいつはバカでどうしようもない」
と罵るだけで十分だ。
その後に、
「でも、好きだけど」
と言っても別にいいわけだよ。
でも、好きだと言えないなら、
「良いところもある」
なんて、口にしないのが愛だと思うな。
そいつがどうしようもないために困っている人を相手にしては、とくにね。
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