災いの転じること

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 困ったこと、良くないことが起こると、感心するくらい真面目に、うろたえる。
 自分では、いつもと変わらずしっかりしているつもりでも、何か大事なことを忘れていたり記憶が抜けていたりして、平常心ではない、という事実を突きつけられる。
 眠れなくなったり、食欲が落ちたり、胃が痛くなったりもする。
 つまり、困ったことに対して直接苛立ったり、腹立たしい相手に直接怒りをぶつけることなく、他の面でこれら負のエネルギーを小出しに解消しながら日々は進んでゆくのである。

 薪が燃える感じではなく、炭がおこっているような感じだわね。

 他人に対して、怒鳴ったり、罵ったりできない。
 めったに非難もしない。
 たまにするとすれば、お願い、かな。

 だからといって、罵られたり、非難されたりするのが嫌いかというと、色々ショックは受けるけれど、必ずしもネガティブ感情だけが残ることはない。
 そこから、随分色々なことを思いつく。
 仕事の面だとしたら企画や練習方法やパフォーマンスについて、何らかのアイディアが湧くし、プライベートだとしたら、相手の心の中に何か私の気づかない、でも、気づかなくてはならない事柄があることを知る。

 以前、仕事場のホワイトボードに『揺さぶられてこそ人生』と書きつけていたことがある。
 平穏無事は良いけれど、進歩は少ない。
 揺さぶられると、心理的にも体力的にも大変しんどいけれど、以前の自分とは違うものを身につけられることが多い。
 そのしんどさが好きか、嫌いか。
 自分を変えることが好きか嫌いか。
 「禍福は糾える縄の如し」
 そういう言葉を肯定できるかどうかは、そこにかかっているのだと思うが...。

 へらへら生きたいのに、へらへらしているとどこかから石礫が飛んで来る。
 そして、へらへらしようなんて百年早いと思い知らされる。
 周囲の人々は、もう少し楽をしているように見えるがな...。
 何で私だけ、いつも崖っぷち。

 年がら年中崖っぷちにいても、気は狂っていないから、まあいいか。

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このページは、kyokotadaが2005年6月20日 19:16に書いたブログ記事です。

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