プレッシャー

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 会社を立ち上げてから長いこと、心の真ん中にぽっかりと空洞があった。

 私は、7年前、たった一人で小さな部屋を借り、子供を三人抱えて生き延びるために、覚悟を決めて仕事を広げた。
 そこは、旧いビルの、決してきれいとはいえない狭い部屋だったけれど、来る人が皆「居心地良いね」と言ってくれる場所になった。
 歌の生徒も沢山来てくれるようになり、そこで何冊かの本も書いた。自転車操業の大変な毎日だったけれど、やがて私の城となり、私らしい場所になった。
 そんな時に、共同で会社を立ち上げようという話が持ち上がった。
 私の個人事務所は、そこそこ活気があったし、愛着も生まれていたから離れることに不安があった。自分の仕事の動線は、一日にして成らずということも身に滲みていた。
 けれども、たったひとりで切り盛りする大変さに少々疲れてもいた。
 一緒に働く人がいる、というのは良いことかも知れない。

 そして、数ヶ月。
 夢にも思わなかったような立派なスタジオと書斎が私の職場になった。
 訪れる人みんなが驚き、戸惑うような。
 素晴らしいことであると同時に、それは大変なことでもある。
 そこを維持するプレッシャーは、並大抵ではない。
 建設したり、設備したりする間、業者さんが入り乱れ、その活気と喧噪の中で瞬く間に日が過ぎる。そして、非日常の高揚した日々は、祭りのようにいつか終わる。
 完成すると、次にはあらゆる知り合いに宣伝営業し、システムを整えるために日々考え抜いた。うちの会社が引き受けられる仕事のクォリティやキャパシティはどれほどか。自分に何ができるのか。
 いつしか、事務所滞在時間は、日によって14時間にもなっていた。

 その間中、心の空洞は、いつも空しく口を開けていた。
「ここは、本当に私の城なんだろうか」
 私は、なかなかそこを自分の居場所にできなかった。
 以前より煩雑になったセッティングに慣れない。
 事務所に座って、前と同じパソコンに向かっていても、何となく落ち着かない。
 そればかりか、元気そのものが出ない。何だか楽しくないのだ。
 多分、引っ越し鬱病みたいなものだったのだろう。
 プレッシャーばっかり感じられて、自分が無能なバカになった気がした。

心が変。大丈夫だろうか。
とりあえず、できるだけ沢山歌を歌うことにした。
大好きなミュージシャンにお願いして、レコーディングしてみたり、ヘトヘトなのにライブを打ってみたり、一人でピアノを弾きながら歌ってみたり...。
少しずつ、歌うと自分が戻って来るような気がし始めた。
だんだん、歌った後、すっきりした、楽しい気持ちが蘇るようになった。
録音を聴き返して、なかなか良いな、と安心したり、もっと練習したいと意欲を感じたり...。
時には、高校生の頃歌ったフォークソングを、ハモって歌って、懐かしさや面白さにご機嫌になったりもする。
やっと、心の真ん中の空洞がふさがってきた。
私の体と心が、日常の重みを感じられるようになってきた。
そして、歌うことが、以前よりまたさらに大切なことになってきた。
丁寧に、丁寧に、1曲ずつ、慈しんで歌いたくなってきた。
歌えるようになったら次は、やっと、文章が書けるようになってきた。
まだまだ先は長く、大変な日々か続くに違いないけれど、こうして歌えて書けるうちは、どうにかなりそうな気もする。

少しずつ、少しずつ、欲張らず、丁寧に...決して諦めず。


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このページは、kyokotadaが2007年6月 3日 20:03に書いたブログ記事です。

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