毎朝、ご飯やお弁当を作っているとき、とても良いエッセイの種を思いつく。
料理しながら洗濯機を回し、ベランダに干しながら、ちょっとテレビの時刻などを確かめたりするとき、本当にとても良い種を見つけるのだ。
その種を書く暇は、日中なかなか取れない。今も、本当は雑談を書くよりは、明日締め切りの別の仕事をしなくてはならないのだが。
そうこうしているうちに、その素敵なエッセイの種を忘れてしまう。いったいどこに消えてしまうのだろうか。
種は、私の考えや心の中に「ぽいっ」という感じで転がっているものなので、「あら、そこにいたの。そうよねぇ、ずっといるわよねぇ」と頷いてやらなくてはならないような、ごく当然の存在なのだが、いざ、一日の仕事が始まって、あーだ、こーだバタバタしているうちに、必ず思いついたことを忘れてしまう。
がっかりしなくて良いのは、明日になれば、あるいは明後日になれば、また思い出すと分かっているからなのだが、その、朝の私と夜の私とではセンスがとても違ってしまうのは不思議でならない。
曲を書こうとして、じーっと耳を澄ましていると、胸の奥からふわりと旋律や響きが湧いてくる。それも、バタバタしていると出てきてくれない。
では、じっと暇にしていれば、湧き上がりまくるのかというと、そうでもなく、忙しい中で、椅子に座ってじっとしたり、無理にでもピアノの前に座り、適当にポロポロ引き始めると何となく出てくる。
日常のサイクルは、それはそれとして大切で、その隙間のクレバスのような陥穽に、まだ見ぬ私の作品らしきものは潜んでいるようだ。
その後ろ姿の、着物の端をぐいっと掴むと、幸せがどっと、音を立てて迫って来る。
料理しながら洗濯機を回し、ベランダに干しながら、ちょっとテレビの時刻などを確かめたりするとき、本当にとても良い種を見つけるのだ。
その種を書く暇は、日中なかなか取れない。今も、本当は雑談を書くよりは、明日締め切りの別の仕事をしなくてはならないのだが。
そうこうしているうちに、その素敵なエッセイの種を忘れてしまう。いったいどこに消えてしまうのだろうか。
種は、私の考えや心の中に「ぽいっ」という感じで転がっているものなので、「あら、そこにいたの。そうよねぇ、ずっといるわよねぇ」と頷いてやらなくてはならないような、ごく当然の存在なのだが、いざ、一日の仕事が始まって、あーだ、こーだバタバタしているうちに、必ず思いついたことを忘れてしまう。
がっかりしなくて良いのは、明日になれば、あるいは明後日になれば、また思い出すと分かっているからなのだが、その、朝の私と夜の私とではセンスがとても違ってしまうのは不思議でならない。
曲を書こうとして、じーっと耳を澄ましていると、胸の奥からふわりと旋律や響きが湧いてくる。それも、バタバタしていると出てきてくれない。
では、じっと暇にしていれば、湧き上がりまくるのかというと、そうでもなく、忙しい中で、椅子に座ってじっとしたり、無理にでもピアノの前に座り、適当にポロポロ引き始めると何となく出てくる。
日常のサイクルは、それはそれとして大切で、その隙間のクレバスのような陥穽に、まだ見ぬ私の作品らしきものは潜んでいるようだ。
その後ろ姿の、着物の端をぐいっと掴むと、幸せがどっと、音を立てて迫って来る。
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