好奇心の在処

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 テレビを点けると、羞恥心というグループが歌っていて驚いた。すぐには意味が分からず、色々訊いて回るうちに、「恥ずかしいほど無知な人たち」を演ずる賢い3人組らしい、ということが分かった。
 じつは、好奇心について書こうとしたら、はじめに「羞恥心」という言葉が浮かんでしまい、まずそれをやっつけさしてもらった。すいません。
 で、好奇心について。
 最近また好奇心がむくむくと活性化している、という報告である。
 じつは、長いこと(20数年)フリーライターをしていて、雑誌やらムックやら分冊百科やらの記事をいやというほど書くため、恒常的に「ネタ探し」たる行為を続けていたら、ある時、自分本来の好奇心がすっかり枯れちゃった感じがした。
 その上、副作用として、雑誌やその周辺のもの、「企画」と名がつくもの一切を、見たくもなくなってしまった。厭世観丸出し。「どーせ、企画でしょ、どこまでも商売でしょ、いらんいらん」という気分である。
 ところが最近、また、いろいろな記事や特集の立て方を見て「面白い!」と思えるようになった。
 それどころか、できるだけたくさんのものを見たり聴いたりしたい!!と意気盛んである。面白いことが山ほどあり、まだ見も知らない偉人も山ほどいるのに、あーもったいない、知らずに終わりたくない(何が終わるのか?)  好奇心というか野次馬根性が、果たしてどのように回復したのかといえば、今回は仕事というより、自分の興味に基づいていろいろな事柄を見ているようなのだ。
 情報すべてに「うんざり感」てんこ盛りだった先日までが嘘のよう。
 最近見た中で、やはりすごいのは横尾忠則だったりする。
 日記を見て大笑いし、展覧会の絵を見て驚き、話の率直さと正直さに感心した。しかし、そのぶっ飛び方をしっかり「ぶっ飛んでる」ものとして確保し編集し、書籍なり展覧会なりwebサイトなりで展開させているのは果たしてどなたなんでしょ。
 意外に本人なのかも知れないが...。そんな時間はないはずだ、と思いたい。
 表現活動がぶっ飛んでいる人でも、社会性も同様にぶっ飛んでいるとは限らない。実際、私の周囲で天才的だったり、売れていたりする人々は、パフォーマンス的にはぶっ飛んでいるけれど、日常生活では何となくギリのところで踏みとどまっており、例外なく人に好かれていたりもする。
 実際に見た人の情報によれば、横尾忠則は、どんな場所にも一人で出かけ、一人で仕事して、そのまま帰って行くということだ。秘書や助手はいても、大変実務的な黒子的な役割なのかも知れない。
 私は、いつも忙しがっているため、「仕事を他人に振ればいいんでないかい」とアドバイスされがちだが、私としては、「他人に振れる仕事をしているようではしょうがないでしょ」という気持ちになる。他の人では出来ない仕事なので、私に溜まるわけで、そういうところに価値を置いて受けて立っているのだ。
 発案と情報収集とコーディネイトと編集、実際のパフォーマンス。などと書くと凄そうだが、ただ面白いことを実現する方法を追求しているだけではある。
 好奇心は、私の中でわーーっと編集され続ける「何だか良く分からないけれど大切そうなアイディア」喚起のために掻き集められる豪華な情報群に対して、いつも勢い良く発露しはじめるのである。   

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このページは、kyokotadaが2008年6月30日 20:20に書いたブログ記事です。

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