音楽のジャンルは、永久か?

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 世界が激動している。
 昨日まで常識だったことが、変わる。
 相対的な価値なんて、単なる情報だったり、自分の思いこみだったことに気づく。

 音楽のジャンルというものがある。
 クラシックがあって、ジャズがあって、ロックがあって、民族音楽などがあって...。
 そのヒエラルキー感覚みたいなものが、各人の無意識下にあり、それぞれのジャンルのミュージシャンはその発露のために、相手によっては威張ってみたり、逆に卑下してみたり、色々忙しい。

   私の知り合いには、ものすごく色々なジャンルの音楽家がいる。
 見ていると、私が面白いと感じる人ほど、既成のジャンルにとらわれない方向に進んで行く気がする。
 きっと、ジャンル自体が、わかりやすさを好む現在の時代の申し子だから。
時代は必ずその背後に権力体制による社会の前提を含んでいる。大衆が知識を豊富に満喫する文化を提供したいと考える現在の日本。
 でも、分かりやすいということは、難しいことを置き去りにしてしまうことでもある。
 難しいこと...時間がかかること、丁寧に学ぶべき事、じっくり考えたいこと。
 人々は、さんざんその提供を享受して、基礎ができて以来、権力側が「易しく噛み砕いてあげましょう」と親切ぶることを警戒し始めている。
 「いやいや、じつは、そんなに簡単ではないでしょ」
 言い換えれば、反抗し始めている。

 提供側が揺らぐと同時に、境界線(ボーダー)は無効化される。
 音楽ジャンルも、アートの前衛性もみんな。
 ある意味、これは二律背反であり、ボーダーが在るからこそのコンセプチュアル・アートが、ボーダーレスの影響で無効になる、という事。

   そんな激動の現在かも。
 わくわく。

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このページは、kyokotadaが2008年10月15日 21:40に書いたブログ記事です。

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