アメリカの人間像

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 映画の公開日に、アイドルタレントが、レッドカーペットの上を歩く。
 ハリウッド・スターのような、胸元の開いたドレス。
 それは何とも軽佻浮薄な、ただたまたま美しく生まれて、それを売って生きるしかない女性の姿なのだ。
 これではダメだと感じた。そのタレントがダメなのではなく、そのシチュエーションがいけてない。ということは、結局、バックグラウンドが無いからだ、何らの歴史的な重みを感じさせない。
 ハレの舞台という物には、背景が要るな、と思い至った。
 同時に、アメリカのセレモニーの何ともいえない、取って付けた感ってのは、ずーっと、何かのレプリカでやってきたからなんだ、ということに気づいた。
「何かの」って、ヨーロッパ以外にはあり得ないけれど...。
それにしても、ジョークも、コメントも日本人のそれとはずいぶん異なる。

 大学生の時、カリフォルニアで夏休みの間一般家庭で過ごすというプログラムに参加した。交換留学制度、というやつ。
 憧れのカリフォルニアには、見物すべき場所があまりなかった。どちらかといえば、体感する場所はあった。森や牧場や、海など。
 アメリカ人は、クーラーとプールと外食とお喋りが好きだな、と思った。
 ドライブしながら、ずーーーっと喋っていた。
 食べるものはいつも同じで、着る物は全部化繊。
 私は、アメリカでは暮らせない、と思った。

 慈善団体の会合に連れて行かれた。
 もう、30年以上前のことたが、アメリカが世界一の経済大国であり続けるために、自分たちは頑張るぞー、という感じの演説がいくつかあり、みんなで国旗に向かって国歌を歌っていた。
 その頃、日本人たる私は、ナショナリズムはいけないことだと思っていた。日本人に向かって、それはダメよと説教するアメリカ人は、絶対ナショナリストなんかではないはずだと信じていたので、単純すぎる彼らの上昇志向を見て、じつにびっくり仰天した。
 そして、「日本は戦争に負けたからな」と思った。「国を愛しちゃいけないよ」と言っているのはアメリカではなくて日本人が勝手にそれを受け入れで、過剰に適応してしまっているだけだと思った。どこかで、「アメリカなんて、単純じゃん」とも思った。

 日本は、日本の美しさをないがしろにもしたし、憎んだし、伝統文化なんかに対しては神秘化しすぎて遠ざけたり、様々な近親憎悪を繰り返しながら、泣いたり怒ったりして今に至る。
 私の音楽遍歴は、欧米大好きで日本大嫌いだったから、敗戦後の時代の空気をそっくりかぶって大きくなった世代だ。
 それでも、今となってはさんざん丁稚奉公をして学び取ったことを、次の何かに活かしたいという欲求に駆られている。クラシックもジャズも、本来のスタイルは欧米のものだが、スタイルは血となり肉となって、やがては私を通って出て行かなくてはならないのだから。

   アメリカは、行くところまで行って、じつは世界のサイズが、見えていた量とは違うと気づく途中にいる。それは、考えていた大きさの半分以下かも知れない。
 私は、アメリカが縮んだからというわけではないが、しばらく前から、日本が普通サイズでも充分豊かだと感じ始めていた。なぜそう感じ始めたのかは分からない。ただの勘かも知れない。
 いつの頃からか、自分が立っている足下は、気づいてみればとても豊かだったのだということを、抵抗無く受け入れられるようになっていた。

 アメリカは、建国以来、初めて本当に挫折するのかも知れない。
 その後は、もっと世界のみんなと仲良くなれそうにも思う。

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このページは、kyokotadaが2008年11月18日 21:41に書いたブログ記事です。

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