枯葉が入らないように取り払っていると、虫がひっそり。
寒くなってきたのにね。
この頃、長く付き合っている人々、及びその周辺の友人、知人が集うと、一気に家族的雰囲気が生まれる。
たとえば、soba beatと呼んでいる私のユニットのひとつでは、メンバーの家族構成や仕事履歴を良く知り合っているために、昔話から近況まで、あたかも親戚づきあいのように話が通じる。
昨日集ったのは、ピアノの北さん関連の仲間だったが、こちらも、昔からの知り合いである上に共通の知人も多いため、あのときはああだったこうだった、今はこうである、こんな事知ってるか、などなど、面白い話題に事欠かず。
これは、年齢を重ねた功徳だという気がする。
若い頃は、楽しい集いにしようとしても、なかなかそうはいかなかった。各自の仕事や家族の好不調、ライバル意識など、それらのいちいちが、切羽詰まっていて生々しかった。
と言って、現在の皆が仕事や野心から降りているのかといえばそうではなく、至って元気に働いているのだ。かつてとの違いをいえば、各々の「路線」が明確になってもうこれからはそうそう変化しないだろう、という互いの了解が出てきたことだろうか。
本当の家族では、構成員の役割とか個性を受容し会えるか否かが平和共存を左右するが、それが友人知人の間柄についても同じように働くようで、意欲的に何かしたい人、したくない人、きびきびと商売したい人、したくない人など様々な個性が入り混じって互いを容認し、尊重し合いながら仲良く語り合うというのが近年の楽しみ方である。誰も他者の在り方に異議を唱えることはない。病や困窮については、心配はするがそれ以上に干渉することもなく、それはそれで各々の家族の中で解決すべきことだと割り切っている。
家族の中でも、ある時期からこのようにゆとりや隙間のある関係が生まれてくる。それが楽なのは、誰からも圧迫を受けることが無く、それでいて何か事あれば頼りにできそうだ、と感じていられるからだろう。
ひとりひとりが、ある意味で大人になった、と言い換えても良いかも知れない。普通程度に成熟すれば、誰でも人生の一時、互いが在ることの充実を味わうことができるようだ。
発表会は無事終了。
ただし、前々日から熱が出たため、司会→歌→司会→歌...の連続はこたえた。今も咳と声嗄れが残っている。
発表会の翌日は、友人のヴァイオリニスト、会田桃子さんのタンゴバンドを聴きに九段会館へ。
桃ちゃんとは、ライブでご一緒したり、レコーディングでスタジオを使って頂いたり、何かとお会いするご縁がある。
タンゴバンドは、ヴァイオリン2、バンドネオン2、ピアノ、ベースの6人編成。オリジナルとタンゴの名曲の新アレンジを聴かせてくれた。
とにかく「素晴らしい」演奏だった。一人一人の精進、謙虚さ、そして大胆さ、緻密さ、情緒など、多くの面で大変高いレベルにある。ゲストの歌手、フリア・センコのエネルギッシュな歌も最高。早速発売されたアルゼンチン録音の新譜を購入し、誘った友人にもプレゼントした。
若いミュージシャンは、私達の時代と較べると倍の努力をしている感じがする。そしてそれが、爽やかだ。私達は、音楽に専心する環境がなかなか整わなかったので、音楽をしながら、他の様々なことも平行してやらざるを得なかった。しかし今では、音楽を志すということにそれほどの偏見が無く、真剣にやっていれば応援する人も多い。
何より、高等教育を受けてから留学するなどして、自分の目指す音楽を学び続ける姿勢が素晴らしい。桃ちゃんと相棒の菜穂子さんが率いるタンゴバンド「オルケスタ・アウロラ」は、アルゼンチンだけでなく、南米で徐々に有名になりつつある。
今回のリサイタルでは、アルゼンチンでのタンゴダンスコンテストで優勝したペアが踊った。ペアの女性は日本人。この踊りがまた素晴らしく、踊りとバックの音楽の完璧に近い完成度に、私は思わず「人間ってすごい」と呟いてしまった。
クラシックのオーケストラも素晴らしいが、しばしば、演奏している彼らの熱が低いと感じられることもある。仕事っぽい、というか...。
しかし、このタンゴバンドのように、メンバー全員が愛する音楽の構築と理想に賭けている場合は、そもそもの出音が違う。熱い想いがある。
コンサートの帰り、立寄った居酒屋は、偶然、メンバーが打ち上げに来る店でもあった。そこで、桃ちゃんと再会を祝し、讃辞を伝え、CDにサインをもらった。
彼女とオルケスタ・アウロラはきっと、日本と南米を結ぶ架け橋として重要な存在となるに違いない。素晴らしい才能がすくすくと伸び続けますように、陰ながら応援していきたい。
よく眠れない日があって、整体の先生に体調の影響を訊いてみた。
秋は、感受性の高まる時期だそうだ。なぜかというと、副交感神経の働きが増すからで、連れて身体も内向きになる。確かに、汗をかくために精一杯毛穴を開いていた夏に較べ、身体は熱を逃がすまいと防衛的になってくる。
感受性が高まると、神経が過敏になり、秋にはそれが、春の眠たくなるようなだるい感じではなく、鋭敏な方に向くのだそうだ。
「眠れなくて夜中に包丁を研ぎながら、ヒヒヒ、と笑うのが秋さ」
と先生は言うのだが...。
教室の発表会を企画したのは、5月だった。
内容を考え案内を作って参加を募り練習を重ねて、ついに、来週の月曜日、本番を迎える。
異常に暑かった夏の間も、生徒さんたち、意欲的にレッスンに取り組んでくれた。合唱団も含めて、延べ38名の参加。ソロは17名で、うち15名がバンドで歌う。
曲決め、楽譜作り、リハーサル、会場との音響、照明の打合せ、招待の発送と進んで、今日、やっとひと息ついた。ここまで、スムーズに運ぶか否か、諸処神経を使った。とにかく、本番では楽譜の出来が、進行を左右する。
はじめは、えーっ、ホールですか、バンドですか、と尻込みがちだった生徒たちも、みるみる力漲り、張り切ってくれたのは何より。やはり励みは大切だ。
今回の発表会は、私の復帰10周年記念も兼ねている。
10年前、音楽界に復帰する気などまったくなかった私を引っ張り出したのはご近所の皆さんだった。
リサイタルを企画し、無理矢理ステージに上げてくれた。
その同じホールで、今回の発表会を開く。
10年の間、とても沢山の仕事をした。
その御礼と、ご報告も兼ねて、充実した会になることを祈っている。
人は、本来混沌としているもので、喜怒哀楽なども、名前がつかないと自分が何を感じているのかすら説明できない。
心理学には、喜怒哀楽その他の様々な感情をラベリングする、という手法がある。セラピストが、「いまおっしゃっているその気持ちは、これこれのようなことでしょうかね」と呟いたりすることで、自覚していなかった愛情とか、怒り、寂しさなんかに気づくのだ。
気づくというか、はじめて、自分の感じていることに名前がつく、という感じ。つまり感受性への自意識が新たに生まれる。
名前がつかない場合、この世はただの混沌である。
外来語を翻訳して初めて、哲学や文学、自然科学などを考え、説明する言葉ができたように、人は名づけて初めてその存在を認識できる。
ラベリングには、そのように、大方のことを整理整頓しながら考えられるという、偉大な効用があるのだが、その一方で、ラベリングによって認識の範囲を狭めてしまい、さらにその境界の虜になってしまうという困った弊害も生む。
全ては、バランスなのだが...。
だから、自分にとって、様々なラベルがもつ境界線とその可動域を、しばしば修正する必要がある。
ラベルの可動域は、世間の常識を基準に考えるときと、クリエイティヴィティを考えるときとでかなり変動する。同じことに対する「了解」の質が人によって異なるのはそのためかも知れない。
思い返すと、私は「そんな無謀なこと!!」と、常識的な傍の人間がハラハラすることばかりしてきた。しかし振り返ると、無謀だけが私を窮地から救った。
常識的なラベリングにとらわれていたら、そのぶっ飛びはできなかったように思う。だが、裏を返せば、この程度ならぶっ飛んでも大丈夫なのではないか、と確信させる、私的世界でのラベリングの方法を掴んでいた、とも言える。
ラベリングできて始めて、それを逸脱する時の危険の度合いが判断できる。
ラベルの裏を読む、あるいはラベルの読み方を知る。
その学びのチャンスは、現実にしかない。
であれば、振れ幅の大きい人生の方が、ラベルの数が増え、そのお陰でチャンスの生まれる回数も増える。
人生は、先の分からないジャングルであり、ジャングルには危険と資源が共存している。
驚き、楽しみながら、目の前に現れる珍しいものに名前をつけていく度に、私にとっての新しい世界が開けていく。