肩が軽くなった

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突然、朝起きたら肩が軽くなっていた。
フェイズが変わったかも知れない。

パンの買い置きがなかったので、近所のマックで朝食にした。

毎朝、鞄の中に、その日の気分で読みたい本を入れる。
今朝は、オルハン・パムクの「父のトランク」。
サブタイトルに「ノーベル文学賞受賞講演」とある。

家の近所のマックは、広い。
ゆったりとした4人掛けのソファで、本を開いた。
オルハン・パムクが、「なぜ書くのか」という問いに答えている。
答えは次から次へと溢れ出て、彼の人生の全ての場所と時を示す。
読んでいるうちに、私自身が書きたいと感じる衝動が肯定されていく。

私は、ブログにせよ、書く場所を作ったことで救われ、自分を保っていられる。
誰が読んで下さっているのか、あまり分からないが、それでも、ここに書くことで随分救われる。
抱え続けるにはあまりに大変な日々。

小説家、作家を職業とする人々は、人生に関する様々な問題を採り上げ、それを種に物語を紡ぐ。
私にはそれは無理だろう。
渦中にいると、様々な問題が種にはならない。

時々、粗砥で研がれているような人生だと思う。
粗砥でごしごし研がれて、私自身の在り方も言葉も、周囲の人々から浮くのが分かる。
それを自覚するから、用心するし抑制する。
それでも、まだ浮く。

何でもないことを書きながら、涙を流したり、微笑んだりする。
それが、私にとっては安定剤代わりだ。

自分の中にあるものを出し、降ろし、眺める。
どもならん、と呟く。
どもならんことをどうにか変えようとするのか、丸ごと引き受けるのか、どちらにしたいのか考える。
この場合、適度に、というのあり得ない。
徹底的に闘うか、逃げるかの二者択一だ。

私はどうするだろう。
自分にもそれは分からない。



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このページは、kyokotadaが2011年3月30日 11:46に書いたブログ記事です。

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