2011年2月アーカイブ

息子が、連続殺人事件を題材にした映画を観てきて、困った感じで訊く。
「ああいうの観て、優れた映画だって興奮してる文化オタク的先輩とかいるんだけど、本当にそうなんだろうか」
確かに、大新聞の映画評ですら、エキセントリックこの上なく、グロさでは吐き気を催すような映画を採り上げては絶賛する批評家がいる。

世の中には、それほどのことが起こりうる、という示唆ではあろうけれど、できれば観たくはない。
私は息子に言った。
「人間には、ハード自体が壊れている個体もある。察したら、逃げておくれ。ゆめゆめ興味を抱いたり、観察などしないように」
息子曰く。
「同感である。犯罪に、環境や生い立ちを原因にする説もあるが、それ以前に壊れている人がほとんどなのでは」

人道主義というものがあって、どの人も善意や愛情を隠し持っているという錯覚がある。善い心は、どの人にも平等に備わっているので、もし、不幸にもそれら天賦の感情が隠れている時は、親切と愛情をもって心をこじ開け、彼らの資質に光を当ててあげないと...。
平和な人々は、そういうことを信じる。

それが事実であれば、どんなにいいか。

人間は、自分と同類を察知できないと危ない。
そう見えなくても、水槽の中の熱帯魚と同じで、先天的に愛情のない個体は、心の優しい個体を食い散らすものだ。
その現実は、わざわざ映画にしなくても自明ではないのか。

あるいは、その現実を、虚構だとしか思えない、恵まれた環境にいる人々だけが、何らかの危機意識を抱いてそのようなものを観たがり、感動してみるのか。

危機と一緒に生きている自覚があれば、楽しいことの方に食指を伸ばし、自分を救うために命懸けで精を出すと思うのだが、どうなんだろ。

私の子どもたち

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長女が就職するときは、氷河期だった。入れてくれるならどこでも行きます、のようにして入った会社は、あまり人気のある企業ではなかった。それが、この不況のせいか、あれよあれよという間に女子の希望人気第1位に上り詰めた。総合でも2位である。
「すごいね」とメールをしたら、「おかげさまで」と返ってきた。
仕事はいつも大変そうだが、来期は2年間限定のUターン転勤だそうだ。東京にいるよりは、少しのんびり出来るかも、と言っている。

次女は、大学に進まなかったが、フリーターから次々転職を重ね、いつの間にか結構な会社で正社員に採用される由。どんな時も、とにかく地道に、音を上げず仕事をしていた。親ながらその粘りとチャレンジ精神に感心する。

そして大学3年の息子は、スキルアップのためにこの春からカナダに語学留学する。半年は学校に通い、その後の半年は自活できるアルバイトを紹介してもらうシステムだという。

私と夫はともに田舎から出てきて、何のコネもない東京で、音楽などという夢みたいな仕事をしつつ、この3人を育てた。今思い返すと、ぞっとするほど非力で無責任だった。

でも、子どもたちは、なぜかみんな頑張ってくれる。
その上、しょうがない親である私達を責めることもない。
それはなぜなのだろう。
どうして、親をののしったり、責めたりしない子どもが育ったのだろう。
しつこいようだが、子どもたちにはかなりの苦労をかけたと自覚しているのだ。
それでも、3人が3人とも、いつも楽しそうに暮らしていてくれる。
不思議で、不思議で、その秘密が、私には分からない。
心理学をやっていても、本当のところが、皆目分からない。
このページを楽しみにしていてくれると言ってくれるのは、たいてい男性である。
何でかな。
でも、日頃、喋る友達が少ないのではないか、と感じている謎が解けた。
なぜかというと、仲良しの人がたいてい男性だからである。
男性は、暇メールとか、ごきげんよう電話がほとんど無い。

だからたまに、そういう類の通信を頂いても、スルーしてしまうことがある。
何を返信して良いのか分からなかったりする。
呆然として放っているうちに日が経つ。

集団でいるときも、話しかけられないように身構えているので、怒っていると勘違いされることがある。
怒っているわけではなく、ただ単に、話しかける方がフレンドリーであると思い込んでいる要点のない語りに返答するのが苦痛なだけだ。

今はそうでもないが、かつてはバンドをやっているのは男ばかりだった。
歌手のほとんどと、ピアニストに少々女性がいるばかり。
私は、上下男兄弟だったので、いつも男性とつるむ運びとなっていた。

従って、女性同士で喋るのが苦手かも知れない。
会議とか議論は得意であるが、女子会は苦手。
多分、お喋りというものが、それほど好きではないのだ。

だがこの頃、このページで好きなことを言い、Twitterで呟き、友人からのメールに返信していると、何だか一日中喋っている気がしてきた。

喋りすぎだ。
本来の意味では喋ってないのに...。
それとも、過剰なくらいに喋り倒してみるか?
喋り倒した果てに、新しい世界が待っていたりして?

息子がi-phoneを見ては、友人がライブに行くそうだとか、レアなイベントがあるらしい、と言うので、何を見ているのかと訊けば、Twitterだった。それは、様々な人が短く呟くことを、好きなように呼び出して読むことの出来る仕組みらしく、有名人でも友人でも、Twitterを使って呟いてさえいれば、断りもなく、勝手にアクセスできる仕組みなのだそうだ。

私が呟くのは、このブログで充分だと思っていたので、まずは、ファン心理。好きな作家やアーティストに本当にアクセスできるのかを知りたくて、幾人かに「フォロー」ということをしてみた。
すると、本当に呟いていた。

私の好きな人々が、ランダムに色々呟いている。

しかし、メディアに関しては、どうしたって古い体質のままで受け取ってしまう私。
画面にずらりと表れるその「人々」の並びが、どうしても自分のセレクトである、ということが信じられない。人を選んでいるのが、つまりそのページを編集しているのが自分である、という感覚に馴染むのが、まずは大変なのである。

こうしてみると、人のつながり方は、どんどん変わるのだ、と思える。長らく、文章は出版社なりのメディアが、多数の読者を見込める人に発注して原稿となり、その後も印刷までの直しやら校正やらの長い道のりを経てやっと製品となり、さらに流通を介して店に並び、それからやっと私の目に届いていたのだ。それらの手間暇をかけても値のある文章であるはずだと信じて。

その、製品に至る以前の時間帯が、Twitterにある。
製品を作る以前のああでもなくこうでもない、みたいな混沌の時間帯。

それを、私はパソコンとI-Phoneで暇つぶしのように読む。
つい、呼び出された互いが、何の関係性もないのに、文脈が発生しているような錯覚を、そこに読み取ろうとしていることに気づく。
ここでの文脈は、メディアにではなく、私の中に生まれている。
その外と内のバウンダリーの捉え方を、変えつつ馴れて、自分の存在認識も少しずつ変わっていくみたいだ。

馴れてくると、呟くのは発想をメモしている感じだ。メモしながら、自分が興味を持ってフォローしている人々の呟きに呼応したり、アイディアが広がったり、考えの道筋が多様化したりする。

一人で考えている事を止め、会話しながら考えている、みたい。


長く眠ってしまう。
寝床で本を読むのが楽しみだったのに、その本の重さが辛くてすぐ灯りを消す。
昏々と眠って、いくつも夢を見て。
起きがけはなぜか苦しい。
辛い気持ちがする。
心の中に、辛い種がある。
それが、眠っている間に育ち、起きる頃、眠りのためにゆるくなった警戒網を破って意識に上るのだ。

辛いことは、人によって様々で、意識に上らないこともある。
日常に、悲観しやすいとか、怒りっぽいとか、その人の性格のように見える形で出る。
その根元は、心の中の出たくとも出られない場所に育つ、哀しみや孤独だったりする。

誰かがそれに気づくと、愛が生まれるけれど、気づけない体質の人々の中にいては見出されることが無く、ただ、いたずらに大きく育ち、マグマを溜める。
自分を損ない、周囲を損なう。
けれども、日常では、それこそ人の営みで、その取り扱いに多く時間を掛け、対処して過ぎていく。

心の中には何がある?
良いものも悪いものも、何もかも全てある。

雪が降って...

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 東京に今年何度目かの雪が降って、電車が停まったり、転んで怪我する人が出たり。
北海道の豪雪地帯に育った私は、東京がちょっとの雪でいちいち大騒ぎすることにあまり共感できなかった。かつては。
 だって私、北海道だからねぇ、と言いながら、ふと思い返すと、北海道で暮らしたのは18歳まで。いつからか、東京暮らしの方がうんと長い。もう、東京の人の都合の方が、身体の中で断然濃いかも。

 雪国や北国の人々は、「東京の人は、ちょこっと雪降ったぐらいで、なーにいちいち騒いでんだか」と感じるに違いない。確かに、雪はちょこっとなのだ。
 しかし、昨日、雪のために電車が数分遅れると、あれよという間に電車のホームには人が溢れ、いずれ誰かが線路に落ちて大事故になるんじゃなかろうか、と思わせる混雑が発生する。

 東京はいつも、時間通り回せていないと、渋滞し、塞がり、滞って、それがすぐさま事故につながる。
休みなく回転していないと、生きられない巨大な生き物なのだ。

 雪かきや結露や、極寒に耐えるのも大変だが、東京で間違えずに電車や地下鉄やバスを乗り継ぎ、人波に揉まれ、湿気と熱波に負けずビルの間を歩き続けるのも結構な試練である。多くの乗り継ぎ駅は広く複雑で、隣の駅まで地下道を歩く羽目になることもある。
約束の時間と、迷宮を辿る知識とのせめぎ合い。

 それは、雪の中を、フィジカルな辛さに耐えながら歩くのとはまた別の、焦燥ではある。

 どこでどう生きていても、楽ということはない。
ほとんどの仕事は辛く、付き合いには神経を使い、家庭は心を消耗させることの方が多いだろう。
だから、東京の雪はそういうはてのない焦燥に、少しばかりのエクスキューズをもたらすガス抜きにもなる。
だって、雪だったから。
出かける予定や、気の進まない付き合いや、残業も今日だけはスルーできたりして。

 バレンタインデーの、雪模様の渋谷駅では、夜8時を過ぎてもチョコレート販売員の売り声と、売り場に列を成す若い女性たちが居た。ギリギリのその時間帯にチョコを買って恋人に渡すはずはない。では何のためのチョコ買い?

 心は謎を素通りし、降りしきる雪の積もるその足下の、滑るか否かの方に移っていく。


新陳代謝

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若い頃、世の中はなかなか変わりにくいものだ、と感じていた。先輩たちは立派だし、団塊世代は強いし、その下で、もごもご不満を呟きながら下請け仕事に精を出すのが、「シラケ世代」と呼ばれた私達だったのである。

しかし、この数年は激動である。あれほど堅固でどう押しても引いても動きそうになかった「権力分野」みたいなものが、がれきのように崩れ、私に襲いかかってくる。

片付け専門。

時代だ、とは思う。
膨張する時代の人々は、それが彼らに相応の実力だと信じて、後を顧みる暇も無かっただろう。
残されたのは、瓦礫の山である。
それを、疲弊する心と共に黙々と片付けるのが我らが世代。

残すのは忍びない。
子等の世代は、生きることそのものが更に苛酷なのだから。

心をどうすればよいのか、と考える。
喪ったり、壊したり、捨てたりばかりを求められる自分の心をどう保てばよいのか、と考える。

新しく何かを作ればよいのだろうか。
作ったところで何になるのだ、いずれはゴミだろうに、と呟く別の私がいたりする。
ニヒルに陥らず、自分であることを保つには、何に取り組むのが良いのだろうか。

思いつくのは、よく寝て、よく食べること。
そして朗らかに動くこと。
時には泣くこと。
つまりは、見栄を張らないことだ。
そうして、この度の嵐が過ぎるのを待つ。
いつかまた、時代は新陳代謝して、清々しい時が巡ってくるだろうから。

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