音楽はどこから来たのか

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知人が脚本、演出したミュージカルを見に出かけた。
公演後、彼も交えて数人で食事。
エンターティンメントに関わる業界の人々は、興業自体のキャンセルが続くことや、みんなの自粛ムード、停電などによる不測の事態を心配している。

娯楽どころではない、という切迫感が蔓延していることが心配だ。
音楽や芝居、映画などが単なる娯楽と取られるしかないなら、それも仕方がないけれど...。

つまらないことだが、私の個人的経験。

子どもの頃から音楽と文章書きが大好きで、それしかしてこなかった。
結婚出産で、音楽との両立はとても無理だと諦めた。
歌を捨てて、文章書きの賃仕事をしながら、知り合いの一人もいない地域に家庭を持ち、孤独や子育ての苦労と闘った。
ある年、クリスマスイブの夜に、近隣のキリスト教会の合唱団がキャロルを歌いに回ってきた。
マンションのベランダから、寒さに震えながらその歌声を聞いた。
音楽は、自己表現とか仕事とかいう以前に、心に染みいるものだったことを思い出した。
商売になるか否かはさておき、私も自分の音楽をマイペースで続ければいいのだ。

今回の震災で、避難所のお年寄りが、高校生の合唱団を聴いて涙するニュースを見た。
スタジオのアナウンサーもこみあげるものがあったようで、カメラが戻った後もしばらく絶句していた。

音楽を聴くと、直前までは予想もしていなかった心の動きが起こる。
歌を聴くと、身体を感じ、感情の流れを感じる。
音楽を聴くことで、自分が、まだこの状況でも感動できる人間であり、そうであるならもう少し楽観的に世界を眺めてみようという気になる。
つまり、生き物としての自分には、そう希望がないわけではない、と思い直す。

私は、人生のどこかでそれを知ったから、音楽が好きになり、自分を前に進めるためにそれを手放さない努力を続けたのだろう。

自覚もできない、ごく幼い頃に、きっと。

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このページは、kyokotadaが2011年3月28日 11:12に書いたブログ記事です。

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