長いお別れ Long Good Bye

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レイモンド・チャンドラーの名前は、もう何十年も前から知っていた。けれども、意地のように読んでいなかった。ハードボイルドというのが嫌だった。ハードボイルド推しのおっさんたちがダメだった。作家の人たちもダメだった。ダメ、というのは受け付けない、という意味ですが。

けれども、村上春樹の訳なら読んでみるか、という気になり、休日2日間で読了。
とても面白かった。
ハードボイルドといってもさほど暴力的でないし、それよりは、スタイリッシュな会話に唸らされる。
アメリカ人が、みんなあんなに気の利いた話し方をしているとは到底思えないけれど、小説の中や映画の中では、台詞、やたらとかっこいいのである。

この美学が、日本にもっとあって良いかな。
この頃は特に、ゆるゆるのふざけた文体ばかりが多いのだ。
もちろん、それが芸になっていることも分かるのだが。
「当方には、アカデミック・コンプレックスとか階級コンプレックスは無い」
というキモチを感じ取っておくれと言わんばかりの軽口にしか見えないときは、結構失望する。

そうそう、ハードボイルドだった。
久しくフェミニズムに寄り添っていたので、男らしい、という定義が嫌だった。
すぐ殴ったり、脅かしたりするのも嫌だった。
けれど、最近は、男はそうするものだ、と幾分思う。
男同士では、そういう、表面的なブン殴り合いというものがある、と分かる。
女同士には、別の意味でのブン殴り合いがある。

話は変わるが、休みの日に、1990年代くらいの娯楽映画を何気なく見ていた。
2作見たら、その物語の構造が同じだったので驚いた。
悪いお母さん→息子犯罪者→ヒロインはそれと気づかず熱心な性的関係を結ぶ→ヒロイン気づく→愛した記憶との葛藤にもめげず犯罪者を成敗。
これがなんなのか。
全く同じ因果関係で、背景だけ変わっている。
主演女優はそれぞれ、シャロン・ストーンとアンジェリーナ・ジョリー。

臨床心理学関係では、プロファイリングと多重人格と隠蔽記憶と模造記憶などなどが一時大流行で、弁護士大活躍であった。
アメリカ人は、暴力性の因果関係づくりに熱心である。
原因全てを外在化したいのか?

そこで「Long Good Bye」の感想。
ここでの犯人は、超美形の女性である。
背景には戦争によって愛する人を失ったというトラウマがある。
ハードボイルドでは、女性は殺される被害者か、犯人か、傷心のまま消えていくやや美女か、である。
男性は、そういう女性たちに翻弄されつつもタフに生き延び、男性同士で互いに暖かく心を通わせているのであった。
下半身は女に翻弄されるが、頭や心はすっかり男性同士のためにある。
やはり、ハードボイルドを読むと、女性としてはバカにされたような気になる。
女性の真実の良さというものは、ほとんど出てこない。
生死に関わる問題を山積させ、疲労困憊のヒーローにさらなる性的サービスをねだるのがここでの「女」というものである。
それも素敵だが...。
そういう女になりたいと望む女はいるのだろうか。
フィリップ・マーロウになりすましている男は五万といそうだがね。

つまり、ハードボイルドは、残念な感じで生きている男たちの問題の外在化と、なりすましロールモデルの宝庫、ということになってしまうのだが...。
それでも私は男の人たちが好きだな。
そういう、単純なところが。

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このページは、kyokotadaが2011年8月24日 11:42に書いたブログ記事です。

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