2011年4月アーカイブ

本日は、2曲目。
「皇帝」  加藤崇之 作曲

加藤によると、「この曲ではビートルズをやりたかった」ということである。
文中最後の活字が大きいのは、なぜか、操作が反映されないためで、意図してではありません。
しかし、何となくいい感じかも...。
 

2.皇帝

 

皇帝は堂々としている。

太い腹と、白くてたっぷりとしたひげ。

頬はバラ色で、まつげが長い。

髪の毛は少ないが、たっぷりとしたブロンドのかつらがある。かつらにはいつも薔薇の香りの香水。

真珠の光沢を放つシルクのブラウスには、同じ真珠色の細い糸で綿密な刺繍が施されている。図柄は、王家の紋章である、鋭い眼を持つ鷹。

ブラウスの上には、白貂の縁取りが付いた深紅のビロードのローヴ。

左手には背丈の長さの杓を持つ。

もちろん、その頭の部分には金色に輝く鷹がとまっている。

 

皇帝は慈悲深い。

子供が生まれると、その子の将来のためにリンゴの苗木と山羊が一頭振る舞われる。

子沢山の家では、山羊の飼料に困って、時にこっそり売ってしまったりするのだが...。

 

皇帝は愛情深い。

結婚する若者達には、白いレースの布を一巻き、新しい食卓に相応しい銀の食器を二人分、贈呈される。

たいていの家庭では、白いレースも銀の食器も、新婚さんたちが年老いるまでには隣の国の質屋にすっかり売り払われてしまうのだが...。

 

皇帝は音楽好き。

周辺の国々で名を馳せる名音楽家たちを、三顧の礼で呼び寄せては宮廷で音楽会を開く。何と言っても盛り上がるのは、皇帝が自作の曲を演奏なさる時。廷臣たちは我先に耳栓を、そっと彼らの耳に忍ばせる。

有名な音楽家たちは、他の音楽家たちの噂話で聞き及んだ、その世にも不思議な音楽を聞くためにしかと心の準備をするのだった。

さて、皇帝は招かれた音楽家の演奏をひとしきり誉め讃えてから前に進み、厳かにご自分の楽器を肩に掛ける。

「えれきぎた」と呼ばれるその楽器は、遠く亜米利加の地から特別に取り寄せた珍品である。

皇帝の後ろには「ましゃる」と書かれたプレートを輝かせた、大きくて黒い箱がある。いくつかの小さなつまみ。皇帝の「えれきぎた」から伸びた黒い紐が、その「ましゃる」の小さい穴に差し込まれる。

皇帝が目配せすると、三人の小姓たちは一斉にハンドルを回し始める。

ぐるぐるぐるぐる。

ハンドルのついた箱からも、「ましゃる」に伸びる紐が見える。

突如として、宮廷中に、かつて聴いたこともない轟音が鳴り響く。

皇帝の左手の指は、楽器に張られた糸の上をめまぐるしく動き回る。

右手は、それらの弦を弾き続ける。時には叩く。

著名な音楽家たちは青ざめる。

雷か地鳴りか、それとも瀕死の馬のいななきか。

皇帝は、バラ色の頬をさらに紅潮させて楽器を奏で続け、天にも昇る快感に、これ以上はないというご機嫌至極、比べるものとてない法悦の次元へと、一気になだれ込むのであった。
私の企画ユニット、ZoolooZは、音楽的には素晴らしいが全く営業能力が無く、CDの在庫を見ながらどうしたもんかと考えた挙げ句、こんな物でも作ればなんぼか意味があるか、と。

メンバーのオリジナル曲のタイトルと雰囲気を私なりにストーリー化。
1曲分ずつアップします。
暇つぶしに読んで下さい。

本日の曲 ZoolooZing は、ベースの多田文信 作曲
ストーリーのネタは
ロック   半端に不良   駆動への憧れ 


ZoolooZ 01 Eleven Stories


1. ZoolooZing


 「将来が心配だ」とか、「何を考えているんだか分からない」というのが母親の口癖だ。もちろん、もれなく、この私に対して為される言挙げな訳だが...。

 

 柳に風と受け流すのが私の流儀だ。しかし、私にもふたつほど耳があるので、無視を決め込んでも頭横の穴から音声が入り込み、悪いことに意味も意図も人並み以上に理解できてしまうがために、決して愉快ではない。

 

 子どもの頃から不思議だったが、母親は彼女の脳みそと私の脳みそが別物であることが「信じられない」らしい。母親がその微妙な設定の脳みそで心配するあらゆる視点、または発想、あるいはポイント...は、たいていの場合、私にとって古びたロックンロールみたいな代物だ。

 母親が思い詰めたよう顔つきになり、決意したかのように、「ちょっと話がある」と呟く時、私は、ひなたぼっこして眠気と油断の極に漂うさなか、通りすがりの悪ガキから突然の足蹴りをお見舞いされた猫、のような気分になる。来たか、ママズ・ロケンロール。

 恐らく、母親の体の中には、息子や夫が、ひとり良い気分になっていることを察知して警報を鳴り響かせ、苛立ちというエネルギーをせっせと供給する装置がセットされているのだ。

 一連の起承転結には幼少の頃から慣れ親しんではいる。慣れ親しんではいるが、長いこと好きにはなれなかった。だからと言って、受け身さながらに攻撃をかわそうとすると、次には攻撃を真っ向から受けて立たないことに対する悲鳴混じりの非難へと場面が展開するのだ。だから、いつしか、闘うよりも折り合いをつけることを考えた。

 

「そんなだからお前はいつまで経っても一人前になれないんだ、バイクみたいな幼稚な遊びにうつつを抜かして、いつ帰ってくるんだか分からない何の得にもならないツーリングだか何だかに行って、帰ってきてもどこに行って何してきたか話すわけでもなく平然と部屋に引っ込んで、風呂入ったり、ご飯だけは食べるくせに、一体そのご飯を作っているのは誰なんだ、風呂掃除しているのは誰なんだ、申し訳ないとは思わないのか、心配かけているとは思わないのか、私はいつもお前が帰ってくるまで生きた心地がしないというのに、お父さんに相談してもうるさそうに放っておけと言うだけだし、一体私は何のために生きているのよ、こんなひどい扱いをさせるためにお前を生んで、苦労して育ててきたわけなの、あぁ、ばかばかしい、生まれて来なきゃ良かったわ、結婚もしなきゃ良かった、何よりあんたなんか生まなきゃ良かったわ、毎日私を苦しめているだけなのに、知らん顔して平然と暮らして、それで心が痛まないないのおぉぉぉ、ああ理解できない、本当に私の子なんだろうか、ああ情けない、もうお願いだから、どっか行って、出て行きなさいよ、この親不孝者オォォォォ」

 

 静かに始まる小言は、いつしかクレッシェンドして泣き喚きとなり、最後に私の部屋のドアが、空気を揺るがさんばかりに勢いよく閉じられる。階段を下りながら慟哭している。凄まじいエネルギーだ。

 母親の叱責は、じつは彼女の欲求不満の表明なのだ、と私は受け取っている。具体的に言えば、この私が、せっかく大学と大学院を出たにも拘わらず、就職したかと思うと会社を辞め、次に勤めた会社も辞め、次第に就活すらしなくなり、それでもいつの間にかどこからかお金を工面して来ては、やたらでかいバイクなんかを購入し、さらにそれを改造して、いずこともいつまでとも報告しないままふらりと旅に出、すっきりと楽しそうな顔で戻って来るのが気に入らないだけなのだ。そこには、お父さんがけちだから、新婚旅行から一回も温泉すら行けていない母親自身の人生に対する不満とか悲しみとかが、ご飯にかけ過ぎたふりかけみたいに、色とりどりにてんこ盛りになっている。単調な塩辛さ。3コードのみの不幸。

 さて、母親の不幸とは何だろう。

 不本意な場所にじっと留まって、その自分の在り方を嘆くことだろうか。

 それは残酷なようだが、彼女の身の丈なんではなかろうか。

 それ以上の不幸になると、こいつはほんとにホントの不幸になってしまう。

 ここに、立ち止まって、安全に、ただ嘆くことが仕事だ。

 私は、少なくとも、嘆かないようにすることを自分の仕事にしている。

 バイクを走らせている間中、私の脳みそにロックが響いている。前に進め、前に進め、行く手に私の居場所がある。

 転がりながら、ロックを響かせながら、いつだって私は、人生の次の扉を開けようとしている。ロックにも色々な取り組み方があるんだ、みたいな?



何か、物騒なタイトルだ。
「死ぬ」と口走るなんて、縁起でもない。
しかし、臨床心理学では、ブレイクスルーのことを死ぬことに喩える。

円城塔というSFなどを書く作家がいる。
彼の作品には、過去を始終書き換えるスパコンが出てくるのだが、それって人の心にそっくりだ。
ああだったこうだった、だから私は辛い、という物語は、ある時点で書き換えられなければならない。
でないと、人はゴミためのようになってしまう。
すっかり再起動する機会を作らないと、ゴミばかり抱えて身動き取れなくなる。
ああだったが、一応そうだったということにしよう、とか、ああだったはずだが、思い違いだったかも知れん、とか...。
拘泥を解くチャンスを持たなくてはならない。

傍から見ると、ある種の無責任である。
しかし、生き延びるとはそういうことだ。
今は今だ。
現在は現在だ。
私というスパコンは、過去を改ざんし続ける。
そのエネルギーを補給し続ける。

天気が良ければ気分はハッピーだ。
それは、恩寵だろ。

切実さのために

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様々な場所で、違和感を覚え、勝手に傷ついたと思い、不快感と闘う...。
何のことかといえば、私にとっての音楽や、文章を書くことの切実さについて。

単に好きでやってきたと思っていたのだ。
困窮する中でも、芸は身を助くだ、なんて言って笑いながらやり過ごしてきたのだ。
だが、そう甘いことではなかったようだ。
私の生家は、長い時間をかけて、アッシャー家のように崩壊の一途を辿っているのだが、そうならざるを得ない構成員の只中で、私は、正気を保つためにそのふたつの表現を使ってきたのだ。

切実である。
切実なので、それを仕事にすることもできた。
ギャラを得るというのは、身を削ると同義だ。
しかし、その身の主体には、幾多のトラウマチックな地雷が潜んでいる。

私にとって、音楽と文章書きは、生きるために不可欠な条件だから、粗末に扱われると傷つく。
それは、自分や家族を悪し様に扱われるのと似ている。

誰かの行為や言葉で、なぜそれほどまでにショックを受けるのか、気にするのか、自分でもよく分からない。けれども、その切実さを言葉で説明することはできない。それは私の歴史だし、私のサバイバルだし、私の創作の泉だから。

これまでは、子どもを育て、自分を生かすために仕事が必要だった。本意を隠して社会に自分を沿わせるのに必死で、自分の傷を労る暇がなかった。

けれど、このところ子どもたちも大人になり、少し自分の世話をしても良い時期に差しかかったという緩みが出た。これからは、できる限り無理はしないで、自分の作りたいものを作ることにする。やりたいことを優先する。

心の中の傷は外側からは全然見えない。
だから、悪気でしたことではないにしても、受け取る側は致命的に痛むことがある。
私は、その傷が人より大分多いために、もっと用心すべきだったのだ。
今までは、素手で触っていた物を、これからは遠隔操作で触るくらいにしないと、寿命が縮む。

それに気がついたので、私は防護服を着ます。
今までより少し、臆病に見えるかも知れません。
ヘッダを初夏バージョンに変えました。
トリミング前の、原画のphotoです。

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昨日の日曜日夜、ETVでは、20時から日曜美術館「岡本太郎」、21時からN響アワー、震災チャリティー特別版で、ズビン・メータ指揮ベートーヴェンの第9交響曲@東京文化会館、22時から、イギリスに帰化した作家、カズオ・イシグロのドキュメンタリー「カズオ・イシグロを探して」。

岡本太郎については、縄文好きの私でも消化不良になっているため、パス。
第9は、テレビをオーディオのスピーカーに接続して聴いた。
普段なら、第9なんて、という気持ちがある。年末になると、あっちでもこっちでも、合唱好きな方々が集まって第9になってしまうので、それが私をひねくれさせる。
ズビン・メータ氏は、なぜ第9を選んだのか、この日の特別な演奏を聴いていくうちに、気持ちが伝わって来た。
演奏会の初めに黙禱があり、次いでバッハの管弦楽組曲、一般的には「G線上のアリア」として知られている曲が演奏された。これは、前説的なもの。一度会場を祈りの場所にしてから、第9に取り掛かる。
ズビン・メータはインド生まれ。イスラエル・フィルでの活動が知られている。
イスラエル・フィルは、世界の歴史や政治的問題を無視しては存在できないオーケストラだ。
イスラエルを建国したユダヤ人は、クラシック音楽界に於いて大きな勢力である。ハリウッド映画界が、ユダヤ人作家や監督たちによる戦争告発映画を多く作り出したと同様、ナチが利用したワーグナーの音楽をイスラエル・フィルが演奏するという、ヒリつくような挑戦もやる。
その存在と活動は、ぼんやりとただの娯楽として音楽を聴く姿勢しかない私の自我を逆撫でする。
サイードとバレンボイムの対談本までできるくらい、音楽界に於けるユダヤ民族と世界との相克は厳しく、芸術が政治という背景にどう挑戦すべきなのかが問い続けられる。

そういう国で音楽活動をしてきたのが、ズビン・メータである。
インタビューの画像でも、演奏前の聴衆に向けたコメントでも、メータの表情は「深い悲しみと人間の痛みを知る」人のものであった。
本当の表情だ、と私は感じた。
と言うか、メータの表情を見ながら、私は、「知る人」を感知できる自分を発見した、のだ。

最近、聖書を読んでいる。正確には、聖書を読み解くための本だが、それが大きく役立っている。長く、東洋人である自分の正邪の判断の置き所は仏教にあると決めてきたが、聖書の読み解きは、現在只今の自分には、大きな力になる。
日本人は、一神教を採り入れない。採り入れないくせに、全能の父を仮定する。
仮定するばかりで採り入れないのだから、その座は空虚であり、空虚であるために手を伸ばしても何も掴めず、それを裏切りと感じて怒る。
テレビでワーワー政治家や機関のせいにして非難の言葉を吐き続けるのが、これらの人々。
日本人の何割かを占める特徴的心性である。
何かに頼りたかったら、それなりのお布施を致しなさい、と思ったりする。
お布施をするのだから、責任持って頼りになる存在でいておくれ、というのが正しい誓願である。
頼りになるとは、助けてくれる、ということではない。
自分が正しい道を進もうとするときに、デカダンスやニヒリズムに沈まない、謂わばつっかえ棒になってくれる「何ものか」のことだ。正しく生き延びようとする精神を放棄させない存在のことだ。

メータの選んだ音楽が第9であったのは、今が未だ悼むときではないからだった。
レクイエムではない、今はまだ。
怒りを以て力に変え、それを糧に前に進め。
メータは、人の心に力を喚起させたかったみたいだ。
ズビン・メータは、お布施をしても、信頼しても裏切られ、傷つくのが人間だということを知っているみたいだった。
傷つき続けるからこそ、次の瞬間に進むためのわずかな力を、音楽を通して宇宙から貰うのだ。
芸術というのは、外からは見えない心の中の複雑で豊かな成り立ちを外に出して分かち合う装置だ。
恐怖、怒り、慟哭、願い、希望何でも、その微妙な細部に分け入って取り出し、昇華させ、誰もが、自分の心中にもそれが確かにあるという、静かな共鳴を感じさせるものが、私たちには必要だから。

もうひとつ。
演奏家たちは、音楽を学ぶにあたり、その発祥の地の文化を深く知ろうとする。
歴史、言語、環境、慣習。
かつて国境はどうであったのか。
その地はいかなる様子であったのか。
政治は、人々の暮らしは、金銭感覚は、楽しみは...。
それらを学び、書物や楽譜を通して音楽の息吹、リズム、感性を呼び戻し掴み取ろうとする。
当初の動機が良い演奏のためだったとしても、その想いと行為は、遠い国の人々をどれほど意識させ、理解させることか。
音楽というひとつの扉から入って、演奏家たちは、身近から遙か遠く離れた土地の、遙か昔にまで旅を続けているのだ。

私はジャズやロックを通してアメリカに触れ、レイシズムについて随分考えた。
移民の国であるがために、独自の文化を創作せざるを得ないアメリカの、世界に向けた文化戦略。
文化戦略の背景にある世界との闘争、人種間の闘争。
アフリカ系だけでなく、アングロサクソンからイタリア系まで参戦してのジャズ界に於ける勢力争い。
人種間抗争、縄張り争い。
そしてその混沌としたアメリカから世界に発信される文化。
文化による侵略、植民地化などという考え方、見え方。
そこから敷衍される、自分が、日本語で歌わないことの理由。
私は、ひとつの音楽ジャンルを通して、深く自分のことを考えたようだ。

そういったことをつらつら考えながら、熱の籠もった第9を聴いていた。
それに続いて、文学の宝、カズオ・イシグロが映し出される。
自国語で歌わない私と、ついに英国に帰化してしまったカズオ・イシグロ。

一人の人間を魅了する異国の文化とその風景については、またいずれ改めて...。



戦中派の凄味

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震災の後の様々なニュースを見ながら、ふと、世代のことを考えた。
震災から復興する、という大命題を抱える日本を励まそうとするとき、「あの第二次世界大戦の廃墟から立ち上がった」ことが引き合いに出される。
それはある意味で、嘘ではない。
人類史上、最初で最後の二発の原爆を落とされ、空襲にまみれ、さんざんな犠牲を払った末の全面降伏。下手すると国が喪失してもおかしくない事態だった。
けれど、その後の日本は、合衆国に次ぐGNPをたたき出すまでに「復興」した。もちろん、同盟国あるいは子分国として育て上げようとした合衆国の力は偉大だったのだが、この国の側ではその時、一体誰がこの快挙を成し遂げたのだろうか。

日頃、お世話になっている、昭和十五年生まれの先輩たちがいる。
ご縁は、私が歌の指導をしたことによるが、彼らこそ、戦後の日本の復興を身を以て果たしてきた世代なのだ。
諸先輩は、就職してから退職する時まで、毎年成長を続ける企業の最前線で営業マンを続けた方たちである。
私の親の世代よりは若いが、戦中を経験しているという点で、大変似た面を持っている。

私の父は、大学生だった頃東京で暮らしていた。
日々、大空襲を逃げまどい、戦場掃除に駆り出されて遺体の処理をし、卒倒するほどの飢餓を体験し、卒業後は東京から北海道まで各駅停車の、しかもつま立ちしてしか乗れないほどの満員の列車で帰ってきた。
口癖は、「真暗闇でも身支度ができるようにして寝なさい」とか、「飢えると人間は理性を失うものだ、これほど凶暴な存在はない」とか。
つまるところ、危機管理についての述懐が多かった。そしてその働きようと言えば、奇跡の体力と精神力。休日は勉強とボランティアに明け暮れ、実質ほとんど休まない人だった。
父は、大正15年、つまり昭和元年の生まれだ。

そして、昭和15年生まれの先輩たち。
父の世代が、幾分ロマンチストであったのに較べると、こちらは超現実主義。実務、実践に素晴らしく優れている。
集合するのもご飯を食べるのもものすごく速い。決められた時刻の15分前には全員が揃っている。
仲間内で、瞬く間に役割分担が決定し、素速く機能する。
責任ある立場で超多忙な場合でも、半日の隙間を作ってでも、その仲間との会合に馳せ参じる。
私たちの世代には、とても無理というスケジュールを平然とこなす。
遊ぶ、騒ぐ、飲む。
その全てに於いて、全くかなわない。エネルギーの総量が大きいのだ。

良く聞くと、皆さん持病を抱えていたり、苦労を抱えていたりするのだが、そんなことは当たり前でしょう、という程の強さがある。
私たちのように、それを肴にしてくだくだ言わない。

戦後を復興させた方たちのような野性味やパワーは、残念なことに私たちにも若者にもないような気がする。
戦後には大いなる苦労があったとしても、日々、戦時中よりは豊かになって行った。
つまりは希望に向かって進んでいたのだ。
それと較べると、私たちは飽和状態にまで膨らんだ供給の中で飽食し、他人との細かい差異に拘り、あまりの情報量に対して窒息する代わりに草食系などになってみたのだ。
自然を知らない。飢えを知らない。不足を知らない。
つまり、素の人間を知らない。
与えられたものに対しての不満だけは言う。
けれど、無から立ち上がった経験はない。

そこを、しっかり解っていなくてはならない。
私たちは、戦後に立ち上がった人たちとは、出来が違うということを。
体力、気力の全てに於いて、訓練されていないということを。

避難所で、互いの不幸を気遣い、日々の暮らしを工夫して、時には人生を豪快に笑い飛ばしているのは、戦中派のお年寄りたちだ。
若い人々が、初めて体験する今の状況に深く傷つくことを、傷ついた果てに被る様々なことについて、少しは戦中派の凄味を知る私たちが、心の用意をしておかなくてはならないと感じている。

桜散る

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都知事選だった。
周囲では、石原では怖い、という人が多かった。
この期に及んで、原発擁護だから、という理由。
誰に投票するかとても悩んだ。
石原以外の誰かだった。
私の中では、都民の危機感は高く、投票率も上がるだろうと期待もあった。
その全ては、呆気なく裏切られ、8時3分くらいには、石原候補当選確定であった。

世の中の在り方は、観る人によって全く異なるのだ。

原発は、近くに住む人を多数知っているから、私にとってはひどく身近だが、同じ都民でも、野菜の汚染度しか気にならない人だっている。

自分を中心とした同心円が「私」だとすると、私は、生身のたくさんの知り合いに感情移入する。茨城の知り合い、千葉の知り合い、福島の、宮城の岩手の山形の知り合い。
そして、彼らの無事を願い、都民としての自分の立場を考え、下手すると棄民となりそうな東北地方全体を案じる。

汚染されたほうれん草すら、もういい年なので、買ってあげたい気持ちになる。
良く洗って、食べてあげたい気持ちになる。
なぜなら、今まで彼らの危険に無知なまま、お洒落な生活とやらを標榜していたのだ。

自分なりに、自立していると、あるいは、より自覚的に一個人たろうとしたつもりだったけれど、こうなると、自然も国家も政治も、まるで私なんぞの手の届かないところにある、別次元のものだったという気がしてくる。

しかし、冷静に考えれば、多分、現場の人々も同じ気持ちなのだ。
自然相手に仕事をする人々も、政治家も、経済人も、頑張れば、頑張りさえすれば、上手くハンドリングできそうな気になっていたこの世の仕組みが、じつは不確定要素で満ちていたということに、今更ながら気づく。
安定と見えた物はいつも、奇跡のような偶然の積み重ねの上に成り立っていた。

安定しているかに見える物事は、必然的に経年劣化やエントロピーの増大を孕む。
それが、ひとつのバランスを欠いたことで、一斉に噴き出し、暴れる。

世界の有り様は、誰のせいでもなく、ましてや自分のせいでもなく。
ただ、現在只今の世界は、そのようにある、ということ。
地球上のあらゆる物事は、死と再生を繰り返すものだということ

だから今生の、生きる力を失わないことだけ、それだけが大切なのだ。

お約束の、8階から見た山桜。ゴージャス。
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2年ばかり前に思いついて、昨年の夏リリースしたZoolooZ 01。
「ズールーズ ファースト」と読みます。
昔からの知り合いミュージシャンを、私なりにコーディネイトさせていただき、遭うはずのない方達に出会っていただきました。
私がゲストで入った、最後の曲以外、全てメンバーの素敵なオリジナル。
一人一人の世界観が色濃く出ているのを惜しみ、只今、1曲毎に詩またはショート・ストーリーを書いております。
後々は、加藤崇之画伯に絵も付けていただこうか、それを手製のブックレットにして、CD購入していただく方にプレゼントするとか、単品で販売するとか、色々考えております。
デザイン担当鴨下も、「紙から凝りましょう」と、やや不穏な発言。
良い感じに仕上がれば、今後、我がレーベルのアメニティとして定着させたい考えです。

次のリリース予定は、7月にピアノの石井彰のソロです。今月、所沢ミューズのアークホールでレコーディングいたします。石井君によると、1日レコーディングしたら、2枚組ができます、ということらしい。しかし、2枚組では、カバーなどで遊ぶ機会が減るので、分けたい気分。
石井君はカメラに凝っているので、良い写真があればそれを使ってブックレットにしても良いかな、と思っています。

このところ、震災の影響で、レッスンや会合のキャンセル相次ぐため、時間を惜しんで色々やっております。
まず、ZoolooZのTextプロジェクトを進めます。

個人的には、シベリウスにてライブ用の新曲楽譜制作、新しく取り組む歌の練習。
オリジナル曲の見直し、など、まとまった時間がないと、なかなか取り組み難いことを、一気に進めています。

早起きも良いけれど、4時とかでは、夜まで保ちませんな、さすがに。

花冷えかな?

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春らしい青空。上空、かなりの高度を、遠い轟音を響かせながら白い飛行機が飛んでいる。冬のコートを着ると野暮ったい気分。けれど、スプリングコートだと、少し寒い。

家の前の白木蓮が盛りだ。私の住むマンションは、緑の多い広い敷地内に様々な種類の樹が生い茂っている。白木蓮の後に桜が咲く。

桜は、通常、見上げるものだが、我が家は8階にあるので、上から大きな山桜を見下ろすことができる。
北側の通路からは、富士山も見える。

雪が降った2月末の景色と、昨日の白木蓮。


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