アゴタ・クリストフ

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「悪童日記」を読んだのはいつのことだったのだろうか。
その時のショックは、何にも例えることが出来ない。
フラナリー・オコナーを読んだとき、内田百閒を読んだ時にも似たような心持ちになったけれど、ショック度合いという意味では、ダントツだ。

人が家族を失うということ、故国を失うということ、国と故郷と家族と、そういう属性を全て失ったときに、どうやって生きるのか、生きていけるのかを深く考えた。

それは、その頃の自分の立場を考えたり、そこから先に進む方法を考えたりするための役に立った。
大いに。

田舎で、周囲の人々から何らかの認知をされていた自分が、ある日から突然「どこの馬の骨」という目でしか見られない存在になるという体験は、欧州の戦乱や人種差別、宗教差別の生死を分ける状況とは比べようもないとは言え、それなりに文学的だったのだ。

自分は、何をする誰なのか。

リセットされるというのは、苛酷な体験だ。

そして、私は今日まで穴に落ちないよう、怪我をしないよう、慎重にしかし時には博打を打ちながら生き延びてきた。
まさに、生き延びてきた。

人生の中で意義のあることをしたとか、後世に残ることをしたとかいうのは目的ではなく結果だ。
人はただ、一心に生き延びたいだけだ。
そして、気づくと歳を取っている。

その加齢に免じて少しは休ませてもらえると思うだけで、生きてきた甲斐があったと思える。

私の周囲の男性たちはあまりにも早く、病を得たり心朽ちたために若死にした。
その数を、私は指を折って数えることができる。
女はみんな生き延びている。
生き物としての自分の重さを秤る時の女の潔さ。

アゴタ・クリストフは、「人間」と「女」のただそれだけになった時の姿を書いてくれていた。
文名が上がるにつれ、彼女のような苛酷な人生を糧とする人々がこれほど多いということが分かり、それも私の励みになった。
少しは孤独が慰められた。

亡くなったと知ったとき、私の人生が文学に大いに救われていることを、改めて思ったのだ。

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このページは、kyokotadaが2011年8月 8日 10:53に書いたブログ記事です。

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