kyokotada: 2008年11月アーカイブ

 私は理屈っぽい。
 なぜかというと、理屈の通らない人を説得しようとしてきたから。
 いや、私を分かってくれてない相手でも、理屈でなら分かってもらえると思ったから。
 うん、こちらが正しい。

 音楽もアイディアも、私の得意とすることは形では見えない。
 そして、生まれてしまえば、何の努力もなく、自然に以前から存在したかのように感じられてしまうものだ。
 私が話したことに感心していた人が、次に私に会ったとき、それが自分の考えででもあるかのように私に教えてくれることがある。
 あれま。
 しかしここでめげてはいけない。
 そうであるなら反省して、人が簡単に言葉ではまとめられないようなこと、 つまりもっと根源的で、パラダイムの次元に降りて考えたことを語らなくてはならないのだ。
 「何か素晴らしいことを聞いた気がするが、自分が話そうとするとまとまらない」
 そういう内容を持つ話題こそが、本当に価値あるものだ。

 ネットやメールという瞬時にあちこちへ飛べる機能があるために、私たちは自我が肥大しているそうだ。
 調べたり、連絡したり、会えるはずのない人たちとバーチャルに出会ったり。
 本来は、自分の生活の中で懸命に努力して、そのための時間を作り、機会を作り、資金を作りしてきたことが、お手軽に手に入る。
 それで、ものすごくよく色々なことを知っている気になっているが、いざ、何かをまっさらから始めようとすると、手足すらまともに動かないことに驚く。

 つい20年前まで、自分が出向いて確かめなければ仕様がなかったことが、ネット上である程度できるようになっている。しかし、web上の情報は現物ではない。だから、体感するのではなく、そこにある情報から色々なことを読み取るのだ。
 それは、リテラシーの発達した形と言えなくもないが、websiteのページ構成やデザインやテキストの内容やリンクの貼り方から、提供者や主催者の人物像を読み取って、その対象の生の外観や人ではない、webに表れた内面の偏りみたいなものを、当人がどのように見せたいのかという意図のようなものを読み取る、というようなアクロバティックな受動形態に則っている。

 かつては姿形を見、幾たびか話をした後に感じ取っていたはずの内面性が、web上では最初から丸出しである。しかも無防備に。  その無防備さを、私は今でも怖れている。
 というか、大変居心地が悪い。
 それで、ネット上では生理的な許容範囲の、一方的な発信ばかりという事にしているのだ。

   お手軽に手に入れた情報を元手にして動かざるを得ない現実があるなら、そのことで得た時間を引き算して、何もしない時間に足し算してやらねばならない。でないと、私は、大いに勘違いして、本能がすり切れてしまうような生き方をしてしまいそうだ。 
 宇宙物理学をやっている学者さんがいて、その人の話によると、空から月が無くなったり、地球が温暖化したりしても、さしたる問題ではないのだそうだ。
月が無くなると、地球は地軸の角度が変わるから、天変地異が大規模に起きる。つまり、人類にとっては、月がなくなるというのは運命的な大問題だ。だから物理学者氏が「問題ではない」というその中味は、「わざわざ、物理学的に考慮するほどのスケールではない」ということだと思うけど。
 このように、「問題」というものは、傍から見るときと、渦中にいるときでは、まったく見え方、感じ方が違う。家族や、会社や、ご近所なんかで揉めるのはだいたい、各人の立場や好みで、何を大切にするかの観点が異なることが原因なんだろう。ご本人にとっては大問題。しかし、他人から見るとつまらないこだわり...。
 では、宇宙を見るがごとく、何に関しても大局的に、大きな心でいると宜しいかというと、これがまた違うのである。「良い天気だなぁ」と空ばかり見ていると店が潰れたり、路頭に迷ったりはする。
   そのあたりの加減が難しい。
 でも、ちょうど良く生きている人はいない。
 誰の目から見るかで人は変わる。家庭の中でめちゃくちゃ迷惑な親父が、会社では、「あ、いたの」みたいな存在感の薄い人である場合も多い。口うるさいことこの上ない母親が、友人内では世話好きな優しい女性だったりもする。
 人の在り方は、一定せず、全体的にほとんどよく分からない。

 誰かの目を気にするのは、その誰かに好かれたいためだろうか。
 それとも、私たちには、誰の目であっても、幾分気にする癖だけがあるのだろうか。
 もし、誰かに気に入られるために、不本意なことをしてみたとして、しかしそれがあまりにつらいときは、どうすればいいのだろうか。
 自分の自然を生きることと、誰かから好かれることが両立しないとき。

   人の欠点ばかりあげつらう人がいる。
 意図しないままにせよ、悪いところ探しする癖から抜け出られない人がいる。
 時には、自分の判断で人を糾弾できると思いこんでいる人がいる。
 無防備に、そういう人たちに出会って、痛い思いをさせられる。

 私たちは自分風に生きてみて、もしそれに対して何か言われたら、一度深呼吸し、ゆっくり相手を観察し、何が起こったのかを考えればいい。
 その小言は、本当に言っているその人にとって大変な迷惑なのかどうか。
 もし、小言を言うのが、その人の精神衛生のためだとしたら、そんなことにはだれひとり協力しなくていい様な気がする。
 それが甘えであることを、分かって言っていることが伝わるときは別だけれど。 
 映画の公開日に、アイドルタレントが、レッドカーペットの上を歩く。
 ハリウッド・スターのような、胸元の開いたドレス。
 それは何とも軽佻浮薄な、ただたまたま美しく生まれて、それを売って生きるしかない女性の姿なのだ。
 これではダメだと感じた。そのタレントがダメなのではなく、そのシチュエーションがいけてない。ということは、結局、バックグラウンドが無いからだ、何らの歴史的な重みを感じさせない。
 ハレの舞台という物には、背景が要るな、と思い至った。
 同時に、アメリカのセレモニーの何ともいえない、取って付けた感ってのは、ずーっと、何かのレプリカでやってきたからなんだ、ということに気づいた。
「何かの」って、ヨーロッパ以外にはあり得ないけれど...。
それにしても、ジョークも、コメントも日本人のそれとはずいぶん異なる。

 大学生の時、カリフォルニアで夏休みの間一般家庭で過ごすというプログラムに参加した。交換留学制度、というやつ。
 憧れのカリフォルニアには、見物すべき場所があまりなかった。どちらかといえば、体感する場所はあった。森や牧場や、海など。
 アメリカ人は、クーラーとプールと外食とお喋りが好きだな、と思った。
 ドライブしながら、ずーーーっと喋っていた。
 食べるものはいつも同じで、着る物は全部化繊。
 私は、アメリカでは暮らせない、と思った。

 慈善団体の会合に連れて行かれた。
 もう、30年以上前のことたが、アメリカが世界一の経済大国であり続けるために、自分たちは頑張るぞー、という感じの演説がいくつかあり、みんなで国旗に向かって国歌を歌っていた。
 その頃、日本人たる私は、ナショナリズムはいけないことだと思っていた。日本人に向かって、それはダメよと説教するアメリカ人は、絶対ナショナリストなんかではないはずだと信じていたので、単純すぎる彼らの上昇志向を見て、じつにびっくり仰天した。
 そして、「日本は戦争に負けたからな」と思った。「国を愛しちゃいけないよ」と言っているのはアメリカではなくて日本人が勝手にそれを受け入れで、過剰に適応してしまっているだけだと思った。どこかで、「アメリカなんて、単純じゃん」とも思った。

 日本は、日本の美しさをないがしろにもしたし、憎んだし、伝統文化なんかに対しては神秘化しすぎて遠ざけたり、様々な近親憎悪を繰り返しながら、泣いたり怒ったりして今に至る。
 私の音楽遍歴は、欧米大好きで日本大嫌いだったから、敗戦後の時代の空気をそっくりかぶって大きくなった世代だ。
 それでも、今となってはさんざん丁稚奉公をして学び取ったことを、次の何かに活かしたいという欲求に駆られている。クラシックもジャズも、本来のスタイルは欧米のものだが、スタイルは血となり肉となって、やがては私を通って出て行かなくてはならないのだから。

   アメリカは、行くところまで行って、じつは世界のサイズが、見えていた量とは違うと気づく途中にいる。それは、考えていた大きさの半分以下かも知れない。
 私は、アメリカが縮んだからというわけではないが、しばらく前から、日本が普通サイズでも充分豊かだと感じ始めていた。なぜそう感じ始めたのかは分からない。ただの勘かも知れない。
 いつの頃からか、自分が立っている足下は、気づいてみればとても豊かだったのだということを、抵抗無く受け入れられるようになっていた。

 アメリカは、建国以来、初めて本当に挫折するのかも知れない。
 その後は、もっと世界のみんなと仲良くなれそうにも思う。

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