新陳代謝

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若い頃、世の中はなかなか変わりにくいものだ、と感じていた。先輩たちは立派だし、団塊世代は強いし、その下で、もごもご不満を呟きながら下請け仕事に精を出すのが、「シラケ世代」と呼ばれた私達だったのである。

しかし、この数年は激動である。あれほど堅固でどう押しても引いても動きそうになかった「権力分野」みたいなものが、がれきのように崩れ、私に襲いかかってくる。

片付け専門。

時代だ、とは思う。
膨張する時代の人々は、それが彼らに相応の実力だと信じて、後を顧みる暇も無かっただろう。
残されたのは、瓦礫の山である。
それを、疲弊する心と共に黙々と片付けるのが我らが世代。

残すのは忍びない。
子等の世代は、生きることそのものが更に苛酷なのだから。

心をどうすればよいのか、と考える。
喪ったり、壊したり、捨てたりばかりを求められる自分の心をどう保てばよいのか、と考える。

新しく何かを作ればよいのだろうか。
作ったところで何になるのだ、いずれはゴミだろうに、と呟く別の私がいたりする。
ニヒルに陥らず、自分であることを保つには、何に取り組むのが良いのだろうか。

思いつくのは、よく寝て、よく食べること。
そして朗らかに動くこと。
時には泣くこと。
つまりは、見栄を張らないことだ。
そうして、この度の嵐が過ぎるのを待つ。
いつかまた、時代は新陳代謝して、清々しい時が巡ってくるだろうから。

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このページは、kyokotadaが2011年2月 7日 11:21に書いたブログ記事です。

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