雪が降って...

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 東京に今年何度目かの雪が降って、電車が停まったり、転んで怪我する人が出たり。
北海道の豪雪地帯に育った私は、東京がちょっとの雪でいちいち大騒ぎすることにあまり共感できなかった。かつては。
 だって私、北海道だからねぇ、と言いながら、ふと思い返すと、北海道で暮らしたのは18歳まで。いつからか、東京暮らしの方がうんと長い。もう、東京の人の都合の方が、身体の中で断然濃いかも。

 雪国や北国の人々は、「東京の人は、ちょこっと雪降ったぐらいで、なーにいちいち騒いでんだか」と感じるに違いない。確かに、雪はちょこっとなのだ。
 しかし、昨日、雪のために電車が数分遅れると、あれよという間に電車のホームには人が溢れ、いずれ誰かが線路に落ちて大事故になるんじゃなかろうか、と思わせる混雑が発生する。

 東京はいつも、時間通り回せていないと、渋滞し、塞がり、滞って、それがすぐさま事故につながる。
休みなく回転していないと、生きられない巨大な生き物なのだ。

 雪かきや結露や、極寒に耐えるのも大変だが、東京で間違えずに電車や地下鉄やバスを乗り継ぎ、人波に揉まれ、湿気と熱波に負けずビルの間を歩き続けるのも結構な試練である。多くの乗り継ぎ駅は広く複雑で、隣の駅まで地下道を歩く羽目になることもある。
約束の時間と、迷宮を辿る知識とのせめぎ合い。

 それは、雪の中を、フィジカルな辛さに耐えながら歩くのとはまた別の、焦燥ではある。

 どこでどう生きていても、楽ということはない。
ほとんどの仕事は辛く、付き合いには神経を使い、家庭は心を消耗させることの方が多いだろう。
だから、東京の雪はそういうはてのない焦燥に、少しばかりのエクスキューズをもたらすガス抜きにもなる。
だって、雪だったから。
出かける予定や、気の進まない付き合いや、残業も今日だけはスルーできたりして。

 バレンタインデーの、雪模様の渋谷駅では、夜8時を過ぎてもチョコレート販売員の売り声と、売り場に列を成す若い女性たちが居た。ギリギリのその時間帯にチョコを買って恋人に渡すはずはない。では何のためのチョコ買い?

 心は謎を素通りし、降りしきる雪の積もるその足下の、滑るか否かの方に移っていく。


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このページは、kyokotadaが2011年2月15日 11:23に書いたブログ記事です。

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