そして人生は進んでいく

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いつだったか、友達に
「もう、人生怖いものはないね」とかうそぶいたことがあった。
友達は「怖いものはあるのよ、いつまでも」
と少し困ったように言った。

当時の私は、ほとんど人生の役目を完遂した、と思っていたのだ。
でも、彼女が言ったように、その後もまあ、よくもこんなに、と感心するほど色々なことが起きるのだった。

人生を物語にするのは間違っている、と思っている。
私が窮地にいることを知って
「神様は乗り越えられない試練はお与えにならない」
と言って慰めてくれる人がいた。
しかし、周囲を見ると、何かがお与えになったのかどうかは知らんが、試練によって呆気なく死んでしまう人も少なからずいた。
乗り越えた、とされているのは、ただ瞬間的な状態なのであって、その後、というものもあるのだ。

生きるということは自分を保つこと。
これに尽きる。
死ぬほどの譲歩はすべきでない。
表情が悪くなる場所に長居してはいけない。

達人だと賞賛された伝説的な人々は、ただ、自分を最も活かす在り方を追求し、それがたまたま周囲の人に伝わったということだろう。
周囲の人々が、その突き詰めた在り方の恩恵にあずかることができればなおさら、伝説は説得力を持つ。

そういう達人を参考にしながら、死なないように、適度に生き延びるように暮らす手段を考える。
油断すると、自分を削っていることに気づけなくなる。



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このページは、kyokotadaが2011年3月10日 11:40に書いたブログ記事です。

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