胸騒ぎだったのか?

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11日は、長女の誕生日だった。おめでとうメールをした後、レッスンに入り、途中の1時間休憩時に食事をし、3時からのレッスンに備えていた。受付のスタッフが、「揺れてます」と言う。様子を見ていたが、どんどん揺れがひどくなるので、ふたりで道まで逃げた。スタジオから、高校生バンドの4人も慌てて上がってきて、みんなで、震源はどこだろう、と話した。

じつは、この1時間ほど前、どうしようもないほど不安な気持ちになって、ツィートした。
「一瞬、ものすごく暗い気持ちになった。理由は不明」
日々、心配事はあったが、それにしてもひどい不安が来た。
涙が出るような、底知れない感じ。
こんな気分のことをツィートすることはないのに、書いて、その後すぐ、気を取り直すように
「甘いものでも食べよ」
とツィートしている。

これは、予感だったのだろうか。

今年に入ってから、どんなものであれ、事業に取り組むのが億劫だった。
止めたい、と思う事例もいくつかあり、その原因は、良いイメージが沸かないためだった。
たいていのことは、資金のあるなし、準備のあるなしによらず、実現までの道のりを心の中に思い描くことができる。
それさえできれば、あとはそこに至る現実的な方法をひとつずつこなして行けばよいのだ。

ところが、今年に入ってから、どうにも、楽しい絵が見えなくなっていた。
絵が見えないと、当然、やる気が起きない。
鬱っぽいのか?と自問する。

自分が年を取ったせいだろうか、それともある種のスランプ、体調不良、または心労...?
色々理由を考えつつ、しかし、これまでこんなひどい閉塞感を感じたことがなかったために、困り果てていた。
私、今ひどくネガティブだ、と。
その鬱々した気分の、濃く煮詰まったような感情が、地震の前に来た。
理由は分からないのだ。
良く晴れた初春の午前だ。

具体的に何が起きるのか、までは分からないのだが、家族に異変があるときに全身が硬くなり、重くなる経験がある。
レッスンでピアノを弾きながら、ひどくミスが多く、リズムの悪い日がある。
反射できなくなっている。
そんな時、家族が亡くなったり、事故に遭っていたりする。
その時の気分は、身体ではなく、魂の底の方に重く沈んでいるような感じだ。
心を鉛のように、重くて冷たいものが包んでしまう。
静かで冷たくて暗い。
現実の自分は、それを知っている抜け殻のようだ。
遠い場所で発信される指示を懸命に実現しようとしている。
けれど、時差が生まれる。
指令する心のある場所が遠いのだ。
だから、時差の分、身体が思うように動かせない。

ただの偶然なのかも知れないが、自分の気持ちや身体の様子を、簡単にでも記録しておくのは悪くないかも知れない。
意識すれば、予感が役立つようになるかも知れないから。

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このページは、kyokotadaが2011年3月14日 13:59に書いたブログ記事です。

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