火事場泥棒

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地震の津波の被災地で、瓦礫の山から金庫だけを盗んでいく人々がいるという。
遺体を探しているのでも、壊れた自宅から何かを見つけようとしているのでもない。
被災地とは全く無関係な人が、夜陰に紛れて金庫だけを盗っていくのだそうだ。

まさかそんな、と思うところにも泥棒が出現する。

どさくさに紛れて成される行為の中には、首を傾げたくなるものがさまざまある。
平時なら、するはずのないことを、あっさりと人はしてみせるのだ。

ことわざに「怠け者の節句働き」というものがある。
いつもは大して働き者と思えない輩が、盆や正月となり、人が休むときに限ってせっせと働いて見せる。常は働くことがないのに、アピール効果があがると思えば急に活き活きと動き出す。背景を察知する能力に長けているのだろうか。

人は本当に様々だ。
欲などなさそうに見せている人に限って、火事場では、突然のように強欲に立ち回る。
私のようにぼんやりした人は、常日頃、人並み以上に働くくせに、火事場ではいつも鳶に油揚げを掠われまくるのである。
他人に良く思われたいばかりに、猫撫で声にだまされて鼻面を引き回され、気がついたら一文無し、身ぐるみ剥がれている者もいる。

「善い人」とは何だろう。
「良い人」とは誰のことだろう。
そんな評価を作るから、つけ込まれて元も子もなくし、不幸に沈む人が出てくるのに。

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このページは、kyokotadaが2011年3月20日 16:27に書いたブログ記事です。

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