切実さのために

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様々な場所で、違和感を覚え、勝手に傷ついたと思い、不快感と闘う...。
何のことかといえば、私にとっての音楽や、文章を書くことの切実さについて。

単に好きでやってきたと思っていたのだ。
困窮する中でも、芸は身を助くだ、なんて言って笑いながらやり過ごしてきたのだ。
だが、そう甘いことではなかったようだ。
私の生家は、長い時間をかけて、アッシャー家のように崩壊の一途を辿っているのだが、そうならざるを得ない構成員の只中で、私は、正気を保つためにそのふたつの表現を使ってきたのだ。

切実である。
切実なので、それを仕事にすることもできた。
ギャラを得るというのは、身を削ると同義だ。
しかし、その身の主体には、幾多のトラウマチックな地雷が潜んでいる。

私にとって、音楽と文章書きは、生きるために不可欠な条件だから、粗末に扱われると傷つく。
それは、自分や家族を悪し様に扱われるのと似ている。

誰かの行為や言葉で、なぜそれほどまでにショックを受けるのか、気にするのか、自分でもよく分からない。けれども、その切実さを言葉で説明することはできない。それは私の歴史だし、私のサバイバルだし、私の創作の泉だから。

これまでは、子どもを育て、自分を生かすために仕事が必要だった。本意を隠して社会に自分を沿わせるのに必死で、自分の傷を労る暇がなかった。

けれど、このところ子どもたちも大人になり、少し自分の世話をしても良い時期に差しかかったという緩みが出た。これからは、できる限り無理はしないで、自分の作りたいものを作ることにする。やりたいことを優先する。

心の中の傷は外側からは全然見えない。
だから、悪気でしたことではないにしても、受け取る側は致命的に痛むことがある。
私は、その傷が人より大分多いために、もっと用心すべきだったのだ。
今までは、素手で触っていた物を、これからは遠隔操作で触るくらいにしないと、寿命が縮む。

それに気がついたので、私は防護服を着ます。
今までより少し、臆病に見えるかも知れません。

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このページは、kyokotadaが2011年4月22日 10:44に書いたブログ記事です。

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