いっかい死んでみるか

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何か、物騒なタイトルだ。
「死ぬ」と口走るなんて、縁起でもない。
しかし、臨床心理学では、ブレイクスルーのことを死ぬことに喩える。

円城塔というSFなどを書く作家がいる。
彼の作品には、過去を始終書き換えるスパコンが出てくるのだが、それって人の心にそっくりだ。
ああだったこうだった、だから私は辛い、という物語は、ある時点で書き換えられなければならない。
でないと、人はゴミためのようになってしまう。
すっかり再起動する機会を作らないと、ゴミばかり抱えて身動き取れなくなる。
ああだったが、一応そうだったということにしよう、とか、ああだったはずだが、思い違いだったかも知れん、とか...。
拘泥を解くチャンスを持たなくてはならない。

傍から見ると、ある種の無責任である。
しかし、生き延びるとはそういうことだ。
今は今だ。
現在は現在だ。
私というスパコンは、過去を改ざんし続ける。
そのエネルギーを補給し続ける。

天気が良ければ気分はハッピーだ。
それは、恩寵だろ。

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このページは、kyokotadaが2011年4月25日 10:05に書いたブログ記事です。

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