毎日色々な音楽を聴いたり、触れたりしている。
好んで聴くものもあるし、話題だから聴いてみようというものものあるし、友だちの演奏に出かけることもあるし、蕎麦屋のラジオで聴くこともある。
色々な音楽があって、私はそのうち、結構たくさんの種類を聴く方だと思う。
オペラやクラシック、ジャズ、ソウル、ゴスペル、ロック、民族音楽、歌謡曲、フォーク、演歌。
仕事では、どんな歌も私仕様で教えることにしている。
美空ひばりの発声は、ジャズと変わらない。
サラ・ヴォーンは、オペラのアルトだ。
良い歌は、どんなジャンルであっても、良くあるためのエッセンスが同じだ。
気持ちの良い発声と、旋律理解と、リズム感。
音楽はどんな姿をしていても良いのだ。
どんなアプローチであっても。
料理と音楽は似ていないだろうか。
どの国にも共通の基本があり、バリエーションが数限りなくある。
料理の基本がまず良い素材を見極めることであるのを思えば、音楽ではパフォーマーが良い素材として成立していなくてはならないはずだ、と感じる。
身体と楽器の一体感。
歌手なら身体を楽器として感じる感性。
外からではなく、身体の中に生成するリズム。
出したい音に対する自己肯定の強度。
それらのことを、内在化し、認知し、醸成して表に出す。
体内で熟成させる感じは、子どもを胎むときと似ている。
育って人となり、胎内から外に出て独立する。
言葉や音が種となり育って表現され、音楽として成立する。
そういえば...。
教育と表現が別のものだということに気づく人が少なくなった。
型を身につけることと、内的な自由度を増すことを、双曲線を描くようにふたつながら発展させられなくてはならない。その方法と成果について、自覚的でありたい。
私は、音楽を求める人を慈しむ。
何をどれほど受け取ってもらえるかは、未知数だけれど。
互いの音楽を聴き合うことは、話すよりもっと、深い共感を呼び起こすから。
この頃ふと、私の人生の不思議について考える。
なぜ、ここでこのような仕事をしているのか、ということである。
子どもの頃、よく親に「何が大事か考えろ」とか、「資格や安定を優先しろ」と言われた。
うちは、歯科開業医で兄で3代目だった。弟は精神科の医者になった。それぞれの奥さんたちも、医者の娘だったり、姉妹で医者に嫁いでいたりと、何か次々と医者が出てくるのだった。
わたしは金輪際、医者系は駄目だった。
本を読むのとバンドをやることに生涯をかけた。
親の目から見ると、激しくふらふらしていたらしい。
勘当されたくらいだ。
しかし、私は、自分の性格では、そうしていないと生きられないと、不確かながら感じていたのだ。
中学生の時、グループサウンズが大好きで、特にショーケンが好きだった。
後に、夫がショーケンのツアーのバックをしたので、打ち上げで握手してもらった。
その時、隣に内田裕也がいた。
私は何でここにいるのだろう、と不思議な感じがした。
歌手の道は半ばだったが、26歳でいったん中止し、せっせと子育てをし、自宅でライター仕事をした。
本が10何冊か出た。
そのうち、歌を再開しようよと励まされ、再開して、かつて共に頑張っていた仲間たちと再会。
みんな押しも押されぬミュージシャンになっていた。
事業をしていた大学のサークル仲間からスタジオの設立に誘われて、立ち上げと運営に関して色々企画しているうちに、レーベルもできた。その時点でスタジオの借財から自由にして頂き、レーベルと教室に全力投球できることになった。
私のレーベルからは、昔の音楽仲間たちが次々とリーダー・アルバムをリリースしてくれたので、そろそろ10タイトルになる。
そして、今現在手がけているアルバムは、ギターの重鎮、中牟礼貞則さんを囲むトリビュート盤。
ゲストに村上ポンタ秀一、金澤英明、石井彰、渡辺香津美、小沼ようすけ、TOKU、ケイコ・リー、フライド・プライド。
これは凄い。
信じられない。
プロダクションやレコード会社、ライブハウスなどと連絡を取り合っている自分を、別の自分が不思議な感覚で眺めている。
だって、こんなつもりじゃなかったし。
実家では、いつも訳の分からない困った娘扱いだった。
娘、といってももうそろそろ孫ができそうな年齢だが、つい数年前まで、自分がこんなことをしているなんて、ちょっとも、夢にも思わなかった。
じつに不思議だ。
ただ、ただ、不思議だ。
先週の金曜日、昭和音楽大学で行われたテレサ・ベルガンサの声楽公開レッスンへ。
テレサは、スペイン生まれのメゾ・ソプラノ。頂いたパンフレットの写真はどう見ても40代であるが、ご本人は70代後半とお見受けした。
ちょっと不安なので、Wikiに行ってくる。
はい、ただいま。
1936年生まれでした。
4名の学生が登場したオペラ・アリアのレッスンの内容は、事前に行われた準備段階でほぼ完成していたらしく、それほどテクニカルな事には触れなかった。
どちらかといえば、オペラでの役作り。
レチタティーヴオのこなし方みたいなこと。
レッスンというよりは、歌手としての在り方の方に焦点があった。
自分の声質を知ること。
個性を大切にすること。
人生経験を歌に昇華させること。
それらを、ご自身の体験を元に語られる。
多くは盛り込まない。
そのポイントの選び方が素敵だ。
歌の教師は大変に難しい。
最近とみにそう思い始めた。
私自身はプロでありたいと思うので、色々な情報を収集し、幅広く知見を保ちたいと考えている。
けれど、アマチュアで歌うことを楽しみにしている人たちは、ただ、聴いて憧れた曲をそのまま再現できさえすればいいのだ。
そしてそれすら、時には難事業だ。
「歌う」という行為の広大な沃野のどこいら辺に場所を定めてその生徒を導くか。
事情を聞き、観察し、道を選択しながら進むのだが、その加減がじつに難しい。
特に、生徒同士で情報交換するとき、それぞれが別のことを教えられていることに驚き、差別ではないか、とすら思うそうである。
私はいつも、教える内容が「オン・デマンド」であることを伝えるが、生徒の皆さんにとっての習うということ、あるいはメソッドという物が、ある一定の堅固な体裁を成していて、決まり切ったその内容を初歩から同一の順序で教わることだと先入観を抱いているとすれば事はなかなか厄介である。
学校教育は表面そのようであるため、無意識にそう思うかも知れない。
歌を習うとき、教師である私の頭の中には時系列のメソッドなり、エチュードなりが並べてあり、そのバックグラウンドに指導要領的な物を隠し置いていると考えられているとすれば、それは随分違っている。
私の頭の中は、整理されていない。
悪い意味ではなく、言い換えれば、いつも流動的だ。
整理された棚様の場所から持ち出してくることもあれば、浮遊して私を取り巻く物をまさにその時つかまえて使うこともある。
何がその時必要か、役立つか。
その背景には自分が苦労して掴み取ってきた体験そのものがあるのだ。
その体験を、言葉を尽くして説明する。
何しろ、時には取説的音楽教本のライターでもあるし、抽象を比喩で説明することは苦手ではない。
意を尽くして、伝わるかと探り探り、生徒の理解力をためつすがめつ、無理なら撤退し...。
なぜ撤退も大切かと言えば、学ぶということにガッツのある人は少ないからだ。
ほとんどの人は、学ぶことがそれほど好きではない。
例え、憧れきった趣味の世界であっても、それに優先されるものは多くある。
それが常識ある人の在り方だ。
クリエイターとかアーティストとかミュージシャンと呼ばれる人々と付き合っていると、誰もが、身体の続く限り、時間の許す限り学んで、体験して、飽くことのないのに気づく。
その特異体質を、周囲の人々は理解のしようもないと思う。
それは「業」とか「質(たち)」というものだという気もする。
本人は辛いが楽しい。
「くるたのしい」という感じ。
いくらでも、いつでも、自分の専門についてのことを探し、発見し、楽しんでいる。
ある種の特異体質なのだ。
ベルガンサに戻れば、そうして来たに違いない彼女の人生の、自信に満ちた幸福が、何の計らいもない自然な仕草や声で存分に体現されていた。
通訳さんに対する、いたずらじみた、ちょっといたぶるような「No no no」すら可愛らしい。
だって、音楽は人が幸せになるためにあるものでしょ、といわんばかり。
その楽観を人生を賭けて身体に取り込んできた人だけが保つ存在感は掛け替えがない。
歌と生きた歌手の、たっぷりとした余裕や、コケットや愛を、遠くのステージに感じて幸せなひとときだった。
半年くらい前から、1月に1回、英語翻訳の教室に通っている。何年か前に、数人で精神医学の原書を丸ごと読む会に参加して、その時はかなり英語に親しんだつもりだったけれど、近頃また読み方を忘れている気がしたのだ。
英語を読むときは、その「脳」になってスタンバイしないとならない。その「脳」の状態は、しばしばそうなっていないとどんどん薄れていく。
翻訳教室では、ニュース記事から雑誌記事、エッセイ、小説など様々なものを読む。課題が出て、それを期日までに訳してメールで送り、教室開催の日に添削した物を受け取って講義を聞く。
私に戻される添削は、まったく、目も充てられない、という感じ。
どこが悪かったのかと考えると、まずは基本的なこと、「主語を探す」という最も重大な仕事をおろそかにする。時制を都合良く感じ取ってしまう。
次には、ひとつの単語がいかように利用されるかについての知識が乏しい。
この、単語に関する知識のバックヤードは、正確な翻訳をするという前提に立って蓄積しない限り、絶対に身につかない種類の事柄だ。
ひとつの単語が使用されるとき、どのような頻度の、どのような優先順位の、または例外的な「意味」を持つのか。
それを経験する毎に、自分のバックヤードに溜めて行かなくてはならない。
同じひとつの単語が、精神医学の本の中で使われるときと、古い小説の中で使われるときとでは、含む意味が全く違ったりする。
このことを思った時、私にとっての楽譜の読みが思い起こされた。
ひとつの曲の誕生と来歴、アレンジの変遷、採り上げた歌手たちのそれぞれのアプローチ、各国の多種多様なリズム系。
その曲をどう受け取り、どうアレンジし、どう表現したいか。
そしてその欲望の根拠は何なのか。
たった1枚のリードシートに、それらを説明しなくては演奏が始まらない「自由領域」がある。
しかしこの自由は、根拠や表現を裏付ける知識とリズムによってしか実現されない。
ひとつの単語を見てその意味を推理する時と、ひとつの曲を見て、それをアレンジする力はどこかで似ている。
自分の英語能力の助けになるかと思って、鴻巣友季子の「全身翻訳家」というエッセイ集を買った。
ひとことで、驚愕だった。
多くの小説家のエッセイを読んだが、かつてなく、最も驚いたかも知れない。
「世界文学」そして「日本文学」への深い造詣、そこから自身の仕事である「翻訳」との相関をさり気なく示し、さらにその全体のそこここに他の作家には見られない独特な「間」を創出している。
ひとりの翻訳家が、彼女の中に膨大な世界を構築し、それらを材料として余さず使い切り、さらには独創までしている様を、短いエッセイの中に見事にまとめ上げている。
料理やワインについての細かな描写は、バックヤードに気の遠くなるほど膨大な読書と経験の蓄積があることを伺わせる。
私は、読みながら胸が苦しくなった。
苦痛の苦しさではなく、嬉しいばかりの苦しさ。
こういう人がいたことを、今の今、知ることのできた僥倖。
作家は、私の態勢が整わないときには、来てはくれない。
読書でも、音楽でも、私に準備ができていないときには、相応しい対象には出会えないのだ。
どんな作家に出会っても、少しずつ「私」とは違う。
その差異ばかりを察知して、友だちではあるけれど、同志ではない、と心の底で思っている。
もちろん、理性では、その差異こそが私を豊かにすると知っている。
それがバックヤードの宝へと姿を変えるのだから。
しかし、バックヤード自体の造形とか、柵の形とか、雰囲気という物を同じ「趣味」で構築している人に出会うというのは、またべつの感興を喚び起こす。
安心する。
興味とは、つまり愛情なのだ。
つきまとわずにはいられない。
音楽ならその周囲を、いつもうろうろする。
ワインもしかり。
うろうろして、ためつすがめつする。
それに関する物を片っ端から収集する、読破する。
聴く、味わう、試す。
欲望する、入手する、傍らに置く。
そして、消えていった物や人に関する膨大な記憶。
その全てが、ひとりのバックヤードに埋まっている。
人のバックヤードを、その価値と豊かさ、可能性を知る人は幸福だ。
これこそ、お金なんかでは、決して、決して、買えないものなのだ。