淋しさについて

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久し振りに会った友だち。
音楽もアートも何でもできる人で、彼の作ったものを見るとみんな幸せになる。
でも、彼自身はいつも大変そうだ。
つまり、才能を上手く利用されてしまうということ。
その彼が私を評してこう言った。
「何でもできて、分かっていて、大変なんだよね」
彼は、自身に私を重ねたかも知れない。
色々できたり、人の気持ちが分かると、人はおおむね生き抜く図々しさを手放さざるを得ない。
できてしまうところから俯瞰すると、人の有り様に神経質になる。

生物は、自分が食べる対象を可哀相とか、気の毒と思うと死ぬしかなくなってしまう。
お坊さんみたいに即身成仏。

いつも、人の気持ちを考えて、良かれと思って動くけれど、理解される事ばかりではない。
それに気づかされたときの徒労感。

街を歩いていて、ものすごく怒っている自分に気づく。
「ああ、私こんなに怒っているわ」
そう感じながら、それも仕方ないと思う。
何だか、つらいことばかり多い。
つらいことを、受け止めすぎる。
けれど、私はそういう風に生きてきたし、これからもまだそういう風に生き続けたいのだろう。

今までより幾分救われるのは、これからは、そういう自分を知って、環境を変えていける気がすること。
自分を活かすために、環境を選び取ればいいのだ。
私を損なわない環境。
人生最後の数年間くらいは、とっぷりと甘やかされてみたいよね。

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このページは、kyokotadaが2011年10月27日 10:48に書いたブログ記事です。

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