ホスピタリティー

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一大事業のレコーディングも無事終わり、そのすぐ後に控えていた自分のライブも終わり、今日は休日だ。朝起きると、頭痛がしていた。楽しいばかりではなく、やはり疲労もあるようだ。

その、頭痛の合間をぬって、「ホスピタリティー」という言葉が頭をかすめた。
もてなしの心、いたわりの心、みたいなこと。

レコーディングの間は、メンバーの健康やコンディションの観察に神経を使う。78歳のギタリスト、中牟礼さんには、時間割の設定、休憩時の飲食の手はず、宿の手配、リラックスのための会話。もちろん、ご自分でしっかり管理されてはいるが、3日間神経を張り詰めるのだから、こちらも本気でかからねばならなかった。

演奏してくれるゲスト・ミュージシャンの中にも、持病を抱える人、遠方から駆けつける人がいて、それぞれの元気具合や機嫌をさり気なく観る。スタッフももちろんのこと、コントロールルームの混み具合に合わせたアシスタントの数、曲によってのディレクションの優先順位など、程良い緊張感を保つのに観察と配慮が欠かせない。

今回はそれに加えて、プライベイトの案件が重なっていた。実家の売却、判断力のない母に変わる代理人を誰にするかのトラブル、サインするかしないかの駆け引きや、たくさんの疑心暗鬼を傍から修理しつつ事を進める。私はほとんど当事者ではなくメンテナンス係だが、怒りや失望の愚痴を聞くのはなかなか大変だった。

そして、今朝、それほどのホスピタリティーを続ければ、私自身がもてなされなくては回復しないということに気づいた。

ご飯なんか全然作りたくない。
誰か美味しいものを私にご馳走してくれないかなぁ、という気分。
誰でも良いから、私をもてなしてくれないかなぁ。
人は、バランスをとらないと、どこかで壊れるみたいだよ。
私は、自分をもてなしてくれる何かを、自分で探さないとならんのだろうか。
そういう私を、観察しててくれる人は、いるのかな?

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このページは、kyokotadaが2011年12月 4日 13:43に書いたブログ記事です。

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