甘えんぼさんに対する共感というもの

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ほとんど言い争いというものをしない。
喧嘩も記憶に残っていないほど少ない。
ひょっとして自己主張のしかたが変種なのかも。

制作現場にいると、自分のこだわりよりは、当事者全ての満足度の方をとりたくなる。
共に仕事ができて良かったね、という雰囲気にしたい。
ジャズのアルバムでは、ひとりずつの個性が大切だし、関わるクリエイターみんなののびのび感が大切だ。傍から見守りつつ、大事なところで決定し、サジェストし、安心感をもっていただく。

色々な部分には、私なりの好みもあり、不満もあるけれど、それらも含めて、ひとつのクリエイションだと思っている。

どんなに追い込んでも、その人にとっては、全く無理な場合もある。
注文をつけても、引き出しがないこともある。
互いの力関係があり、嫉妬とか、期待とか、愛情とかが交錯する。

関係するみんなの心の動きをそれとなく察して、その距離感を見ている。
ひとりずつ、みんな違う。
その違いは、過剰だったり、足りなかったり、捉えどころがなかったり、暑苦しかったり。

違いには、快いものも不快なものもあり。
不快な行為に対して、どうやって共感するかが難しい。
近親憎悪というものもある。
私はどうやら、無駄に甘えかかられるのが苦手だ。
自分が甘えられない人だからなのかも知れない。
私が自分に禁じていることを、無遠慮にそうべたべたやってみせるかのう、君。

甘える人は、難癖をつけ、手間をかけさせ、嫌みを言う。
こちらが途惑ったり、嫌な顔をすると、嬉しいのだろうか。
けれどその後、心のどこかでまずいと思うらしく、サービスしようと申し出たりする。
めんどくせ。

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このページは、kyokotadaが2012年3月31日 12:34に書いたブログ記事です。

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